私は、不妊治療をして、結果子供にも恵まれず、こなしの人生を生きている。
子はいないが、犬はいる。
子なみに、可愛い❤愛しい。
私は、子供が欲しい理由として、「経験」が欲しかった。
妊娠した時どんな気持ちになるんだろう?
出産したら、どんな気持ちになるんだろう?
子育てしたら、どんな気持ちになるんだろう?
なぜ、その気持ちが欲しかったかというと、自分の仕事に活かせるからだった。
経験したら、認めてくれるだろうという、あさはかな気持ちで子供が欲しかった。
(それだけじゃないけどね)
で、不妊治療を辞めると決めた時、悲しいやら情けないやら、仕事で認められなくなるんだなとか、いろんな気持ちが沸いてきて、涙が止まらなかった。
そこから、私は、次、不妊治療を経験した事を逆手にとり、これを掲げて仕事をしていた(今もしている)
経験したことを無駄にしたくないとか、損した気持ちになりたくないとか、、、
あとは、子供はできなかったけど、仕事で見返したかったとか。。。
結局、子供ができなかったという、自分の無力さを認めたくなくて、色々頑張ろうとしてきたが、今は自分が何をやりたいのかさえ見失っている。
そんな中でも、何かが諦められない気持ちがある。なんだろう。。。
私は、不妊治療をして、結果は得られなかった。つまり、失敗したのだ。
この、多くの女性が子供を妊娠し出産するという、誰でもできる事、なんなら動物や植物でもできる事を、医学の力をかりてもできなかった事が、私の無力さを増したような気がする。
これは、自分でそうしたのだろう。
子供さえできない自分。
無力な自分。
何をやってもできる自信がなくなってきていた。
自分には力がない。。。
不妊治療をして、結果が得られない事を理由に、副作用にしていた。
「自分には力がない」
自分の欲しいものが得られなかったから、そう思うのは当然かもしれないが、私はこれからもずっと、自分には力がない証拠あつめをして生きていって幸せなのだろうか?
それがやりたかった事なのだろうか?
いやだ。
そんなの私が可愛そうだ。
○○をしたから力があるとか、できなかったから力がないとか、悲しすぎじゃないだろうか?
こんな時、私は昔勤めていたNICUでの事を思い出す。
未熟児の赤ちゃんは、おかあさんが面会した時、体調がよくなる傾向にあった。
呼吸状態がさっきまで不安定だったのに、おかあさんがきた途端に安定し、アラームが鳴らない。
赤ちゃんは、おかあさんがきたのをわかる天才だし、おかあさんもこの赤ちゃんを元気にさせる天才なんだなと思った事を思い出す。
人はなにをしょうがしまいが、いるだけで何らかの力を与える力があるんだなぁと。
みんなが、自分には力があるんだと思い出した時、この世界は変わるような気がする。
まずは自分が思い出そう。
自分がなにをしょうがしまいが、力があること、人になんらかの影響を及ぼしている事。
その証拠として、人がいるのかもしれない。
たわいもない話をする事で、目の前の人が笑ってくれたのなら、それは嬉しい事だし、自分に力があるという事なのかも新米。。。