脳梗塞からの奇跡のカムバックとは。

野球の監督、ナイン、そして本人の努力。

「1回きり、そして出塁させたら降板」という約束で力いっぱい投げた。

まだ麻痺が残るところもあるようだ。

それでも一生懸命に投げる投手。

頑張りを認めてくれたみんな。


このごろ哀しいニュースが多い中、すがすがしい気持ちにさせてくれた。

頑張れ広田投手!!



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高校野球 脳梗塞克服の投手が最初で最後の登板 大分大会


 3年前に脳梗塞(こうそく)で倒れ、リハビリとトレーニングを重ねて約130キロの直球を取り戻した大分県豊後大野市の県立三重高3年、広田一弥投手(18)=同県臼杵市=が13日、夏の高校野球選手権大分大会で「一回きりで走者が出たら交代」を条件に最初で最後の登板をした。先頭打者に四球を与え、7球で終わった広田投手の「夏」。チームは2対9で敗退したが、「もっと投げたかったけれど、悔いはない」と、すがすがしい表情で球場を去った。
 広田投手は小学校低学年から野球を始めた。野津中3年の6月、地区の中学軟式野球大会でエースを務め、約130キロの速球を武器にチームを優勝に導いた。近隣や大分市内の強豪高から注目されたのもつかの間、大会3日後に学校で倒れた。失意の広田投手の元に、三重高野球部の上尾隆一監督(44)が花束と硬式ボールを持って見舞いに来た。地区大会の投球を「すごい」と感じた監督から「野球を続けよう」と励まされ、広田投手は「野球ができる」と望みをつなぎ同校に進学した。
 1年時は、週に1度の病院通い。ランニングもままならず、他の部員に歩いて続いた。新チームになった昨年秋、「広田は頑張っている。やる気を引き出したい」と部員全員で話し合い、「夏の初戦を投げさせよう」と決め、エースナンバーを託した。
 今年4月、米大リーグのイチローら有名選手のトレーナーとして知られる小山裕史氏が主宰するスポーツ研究施設「ワールドウィング」(鳥取市)に行き、機能回復訓練をしてから、次第にマウンドへの自信がついてきた。
 そして、この日迎えた晴れ舞台。対戦相手は高田高。広田投手はまひで自由が利かない左手をグラブの中にしっかりと納め、駆け足でマウンドに向かった。投球の合間には、両腕を前に突き出して交互に曲げ伸ばしする仕草をした。ワールドウィングで教わった、体をほぐす運動だ。3球続けてボールの後、4球目はストライク。スタンドがどよめいた。5球目はファウル。フルカウントで迎えた6球目もファウル。7球目はコースをはずれ、四球でマウンドを降りた。広田投手はスタンドに向かって一礼。ベンチの仲間に「よくやった」「ナイスピッチング」と拍手で迎えられた。
 上尾監督は「今日は生き生きしていた。ノースリーからフルカウントになった時は感動した。3年間よく頑張ったと言ってやりたい」と話した。
 試合終了後、落胆する仲間の元へ戻った広田投手は「ありがとう」と一人一人と握手を交わした。「マウンドは暑くて気持ち良かった。先生や仲間の支えがあったからこそ、ここまでこれた」と感謝する広田投手。高校最後の夏は7球で終わったが、プロ野球選手になるという、夢への一歩を踏み出したばかりだ。【金秀蓮】
(毎日新聞) - 7月14日10時4分更新