精神障害者(統合失調症患者)の大川裕樹による文集(文章:文学:文献) -10ページ目

精神障害者(統合失調症患者)の大川裕樹による文集(文章:文学:文献)

精神疾患を患いながらも必死に文章を発掘しています。
よろしければ病気を持った患者の思考を拝見してください。

人が確かにこうなると告げる事『確信』を現在持てない状況の私ですが、 『過去』には自分の思い通りになる事の方が多かったです。
ここでこういう事を言うとこうなるとか、ここでこういう事をすればこうなるとかです。
『確信』を無理に通そうとすれば、力が必要となり、現在の言う『パワハラ』にも通じます。
強いものが最後に勝つというのは『病気』でもあり、『ガン』にはかないません。 でも、強いからといって正しいとは限りません。
正しい事とは、『ずっと昔から守り通してきたもの』すなわち、『子孫を残す事』これ以上の正しい事はありません。
人間と生まれて、人間を育てて、人間に未来を託す、病気で犠牲になり、人類が滅亡しそうになっても『ガン』や『エイズ』、
その他病魔に負けない人間の底力は、地球が滅びない限り、永遠に近い『時』と共に存在します。
その力を当たり前のように感じ、あたかも自分が一番力があると『錯覚』した場合、
人間関係で『どつぼにはまる』場合が過去の歴史から言ってもあります。
『戦争』『悪い政治』『殺し』『差別』『いじめ』『レイプ』『悪い権力』等、
『正しい事』とは似ていても、全然結果が違う場合が『悪い例』の一部です。
人間を正しく生きるのが、『子孫を残す事』だとすれば、私の様な『勘違いな人』は偏見で『人間は死ぬ。なぜ、私を作った。』という『人間を理解していない人』がまれに居ます。
今の私に言える事は『自分の死を受け入れます。私は事情があり子孫を残しませんが、他の方々の子孫繁栄を喜びます。世代交代を受け入れます。』と自分の事を流れる様な対応を取ります。
人間を正しく生きるのが、『教育』だとすれば、私は『両親からいい教育を受け、学校からも得て、宗教的には(鳳凰)を拝見するまでに達しました。』
この教育は普通の方には、危ない道です。私も命を失いませんでしたが、『精神障害者』となりました。
ですがこの教育に逆らわず『自分の臨終を見取ってくれる医師、看護師、肉親』達に見守られながら、
『死』に達せられたら幸せであると今は思います。