昨日、帰宅しました。
途中、岡山駅の手前で新幹線が止まっちゃいましたけど・・・。
姫路ー相生間で架線の飛来物撤去作業のため、ダイヤが乱れました。
新大阪駅で乗り換えする予定だったけど、乗り継ぎがうまくいくか不安になりました。
遅れながらも無事着きました、ふぅ。
約1週間の帰省。
色んな事を考えました。
一年前と両親の様子が変わっていたことに驚きました。
父は、呼吸器関連の病気ですが、一段とよくない様子。
朝や動き始めにゼイゼイ・・・ヒューヒュー、苦しそうでした。
以前より、横になっていることが多いと感じました。
母は、物忘れがひどくなり、よく考えて行動できない様子がうかがえました。
アイスクリームを冷蔵室にしまってあるのを見つけた時は、私も焦りました。
鶏むね肉を買い物かごに入れて「もう一つ買って行こう。」と言ってパックを入れたのに帰宅したら鶏のささみだったり・・・。
体力が低下しているのか、今までよりも疲れる様子が見ていてわかりました。
帰省して、エアコンのフィルター清掃、トイレ掃除、床掃除、草むしり、仏壇やお墓掃除と花の活け替え、枕カバー等の交換、毛布や敷パッド等の洗濯・・・・できるだけのことをやったつもり。
高齢の夫婦がいつまで二人で生活できるのか?
課題がいくつもあると思いました。
母は、私に何度も「また来てね。」と繰り返しました。
今までそんなことはなかったのに・・・。
いつもは、帰宅当日に前日着た衣類やパジャマを洗濯して乾いたら、荷作りしてもらって宅配便で送ってもらっていました。
でも、今回は前日に荷作りをして宅配便で送りました。
着ていた洗濯物は洗わず、そのまま袋に入れて自宅に持ち帰り洗濯しました。
帰宅当日のお弁当をいつも作ってもらっていましたが、今回は、「途中で買うから」と言って朝ごはんの準備だけしてもらいました。
母の負担をなるだけ減らそうと思いました。
弟に両親の様子を報告しました。
そして、私は弟と連携しながら対応していきたいと。
私は、今は石垣島に単身赴任していても、県内に居を構えているので両親の介護等については弟にキーパーソンになってもらえるものだと思っていました。
しかし、弟の返事は
「次女や三女の学校のこともあり、九州に戻って来られるかどうかわからない。
うちに帰ったら話ぐらいはしようと思う。」
というつれないもの。
確かに弟は、実家に帰宅しても何かするということはなく、ただお茶を飲んでおしゃべりして帰って行くだけ・・・。
弟が両親のキーパーソンになることは諦めました。
私は、役所の地域包括支援センターなどに情報を提供しながら色々対応していくしかないと覚悟しました。
うちに帰宅して、電話をかけてお礼を伝えました。
父は、私がしばらくそばにいたことで母の気持ちが、少し楽になったようだというようなことを教えてくれました。
父にも母にも困ったことや何かあったらすぐ連絡するように促しました。
できるだけ帰省する機会を増やしたいと思っていることも伝えました。
両親が二人そろって一日でも長く自宅で生活ができるように支えたい、心からそう思っています。

