安楽死について、色々と報道されています。

以前から、考えていたこともあり

ちょっと、まとめてみたいと思います。

脳腫瘍を患ったアメリカの女性が余命半年と宣告され

11月1日に安楽死を遂げると発表し、実現しました。

私は、以前から余命を宣告することの是非について

もっと、議論されるべきだと思っていました。

余命は、医師が生物学的観点から

予測、算定するのだろうと思います。

私は、余命を宣告され、それ以上の期間生きた人を多く看て来ました。

余命を告げることで、残された期間を有意義に生きるために時間を使う人もいるでしょう。

しかし、余命を告げられることで絶望し、悲しみ、苦しむ人も多いのではないでしょうか?

以前、ガン末期の二人の男性が病状のステージもほぼ同じで余命3カ月と宣告されたことについて報道されていました。

Aさんは、妻に

「お前のせいでこんなことになった。」

と、なじり、妻は

「あなたがこんな病気になったのはあなたのせい。」

と、夫婦でいがみあい

3ヶ月後にAさんは、他界。

Bさん夫婦は、お互いに

「残された時間を楽しく有意義に生きよう。」

と、仲よく暮らし、周りの人にも感謝しつつ生きて、3年経ってもまだ、闘病しながら生活されている。

人は、心の持ちようで余命よりも長く生きられると私は、思うのです。

脳腫瘍で安楽死を選んだ女性は、死が近づくのを待つのが怖かったんだと思います。

しっかり意識があるうちに、愛する家族や友人に感謝しながら、逝きたかったのではないかと思います。

でも、もう少し生きる時間があったのかもしれない。

もう少し愛する家族と一緒に暮せたのではないか・・・・。

私は、その女性を批難するつもりなんかありません。

せっかくの命、もっと生きられた命なら生きて欲しかった。

その女性のためにも、家族や友人のためにも・・・・。

生きることは、苦しいことも多いです。

辛いことも多いです。

楽しいことばかりでもありません。

でも、どうせ生きるなら、笑って生きていたい。

明るく生きていたい。

私は、難治性の病気と闘いながら生きてます。

私は、人のために生きたいと思ってます。

それが、自分の生きる意味だと、役目だと思ってます。

人には、人それぞれの役割があると思います。

人が、残された生きる時間を決めることが許されることなのだろうか?

知らないで済むことなら、知らない方が幸せなこともある。

今回の、安楽死の出来事は、世界中で物議をかもすことになると思います。

何が正しくて、何が間違い・・・なんて無粋なことを言うつもりは、ありません。

私は、ただ私の考えを表現したかっただけ。

なんだか、まとまりませんね。

すみません。