王国ラジオ

王国ラジオ

無気力なまま生きていく

最近 YouTubeの「私だけの台所」というチャンネルを楽しく見ています。

約15分間という長さも、ふらっと立ち寄りやすくていい。

 

このチャンネルの冒頭をそのままお伝えすると

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人にはそれぞれ「私だけの台所」があり、

人にはそれぞれ「私だけの人生」がある

様々な方の台所と人生をカメラを通して拝見するチャンネルです

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拝見する台所の主人さんたちは

子育て卒業、離婚、死別など

シングルかそれに近い形で生活を営む

私と年齢の近い方が今のところ多いのですが

中には子育て真っ最中の若い方も。

 

先日拝見した台所の主人さんは24歳。

お嬢さんが生まれる半年前に

大好きだった自分のお母さんを病で

50代前半という若さで亡くされた。

 

今の自分には少し遠い存在のような気がして

どうかなぁと他の回とは少し違う気分で見始めました。

 

亡くなったお母様と主人さんは、本当によく気が合ったようで

仲良く、信頼しあい、良き理解者でもあったようです。

親子とはいえ、お互いをここまで素直に「大好き!」と言い合えるのは、結構珍しいことに思えました。

(自分が全くそうではなかったので、余計そう思うのかもしれません)

 

人には決められた寿命がある。

早くに親を失うことで得られる気づきや

経験を通して強くなれることも確かにあるでしょう。

 

それでも相思相愛とも言える母娘の早すぎる別れは

他人の私から見ても「なぜ・・」と思わず憤りを感じずにはいられませんでした。

 

お母さんに抱かせることが叶わなかった

我が子を育てる日々の様子から

お母様がどれほど多くの有形無形のものを

この主人さんに愛情とともに伝え

主人さんもまたしっかりと受け取ってこられたのがよく分かります。

そして、その受け取ったものを

自分の人生にしっかりと根づかせて

さらには未来にバトンを渡すべく

前に向かおうとされている姿に

こちらまでパワーをもらいました。

 

私はといえば、母とは幼い頃から葛藤が多く

一時は絶縁と称して連絡を絶っていたこともありました。

 

母は3年前に施設に入り、日々の心配は無くなりましたが

頼まれた買い物や実家から頼まれたものを探し出して持って行ったり、たまに外出もさせたりしています。

側から見れば、仲のいい親子に見えるかもしれません。

 

母のことを好きか嫌いかと問われれば

人間としては好きだと思います。

でも母子という関係ではもう二度と関わりたくない、と思う。

 

今は、母の残された時間を少しでも楽しく心地よいもので

満たす力になれたら、と心から思っています。

 

それでも一緒にいて何か齟齬があったり問題が生じると

過去に母から受けた傷が過敏に反応してしまい、激昂してしまう。

そしてその後、激しく落ち込む。

 

何もあんなきつく言わなくてよかった。

年齢を考えれば忘れていて当然、できなくなって当然

なぜもっと優しく言えなかったのか。

目の前で今起きている問題にだけ対処すればよいのに

現在の老いた母の言動をいちいち過去の出来事にまで結びつけて反応してしまう。

 

こういう自分に自分で呆れながら

母と私の間にはどんなカルマがあるのだろう、と思います。

カルマなんてなくて、今世での言動の積み重ねだけで「今」があるだけなのかもしれない。

 

でも私が後生大事に握りしめている傷に執着して

手放そうとしない自分に自分でうんざりするたびに

今世だけとは思えない縁を感じます。

そして、私が握りしめたものを手放すまでこんなことが続くんだろうな、とも思います。

 

小さい頃から父に対しても

母に対しても関係で悩んできたから

色んな本を読んだり、カウンセリングを

受けたり、あれこれしました。

 

私が進学で家を出たり、結婚したり、

離婚したり、親の近くに住むようになったり、父の死後母がひとり暮らしになったり

人生のステージが変わるタイミングで少しづつ関係も変化し

微調整がなされていきました。

 

母が80歳を迎える頃

「なんとかこの線でやっていけるかな」

という関係をようやく築けたような気がしました。

でも甘かった。

この長寿の時代、80歳なんてまだ序の口でした。

生きている限り人は変化していく。

そして90歳を過ぎた母との模索の旅はまだ続いてます。

 

でも、これも母が生きていてくれればこその悩みなのだ

と、母に対して真剣に腹を立てている最中にも

どこかで思えるほどには成長している。

 

親を早く亡くされた方は、たとえどんなに憎らしくても生きていてほしかった、と思われているかもしれない。

 

母が生きているうちに、なんとか関係をよりよくしたい、と焦った時期もありましがが、今はもうそれぞれのペースで無理せず、拗れたら拗れたなりで、そこからまた始めればいいや、って感じでやっています。

 

20代から30代にかけて

心理学者の河合隼雄さんの本を貪るように読みました。

専門的なことは理解できなくても

心のことに興味がある私のような人間にとって

様々な切り口から展開される

河合ワールドはどれも本当に面白かった。

 

どれも深くは理解できていなかったと思いますが

表面的には分かったような気にさせてくれる分かりやすい文章が多い中で

「生きていくために物語が必要だ(正確には違うかもしれません)」という文章だけは

分かるようで分かりませんでした。

 

河合さんは色んな本で繰り返し

「物語」の重要性を述べ

本を読むことの大切さを語っておられました。

 

本を読むは好きだし物語も大好き。

本は読まないより読んだ方がよいだろう。

でも、それが趣味の域を超えて

生きるのに必要とは?

 

私が30代半ばを過ぎた頃

義父(別れた元夫の父)が亡くなりました。

まだ還暦を迎えて何年も経っていなかった。

若い時から運動神経抜群で、体力にも自信があり、体を動かすのが大好きな人でした。

 

若く元気なゆえに病の進行が早かったのか

食道を全摘出する長時間の手術は成功しましたが、その後2年ほどで亡くなりました。

 

義父がそんなに早く亡くなるとは

誰も思っていなかったので

みんなかなりショックを受けました。

 

中でも義母は、義父が亡くなってしばらくは表面上は普通に生活を送っていましたが

一人になると暗い部屋で灯りもつけず

義父が飲みきれないまま残した薬の袋の山を引っ張り出して整理を始めたり

 

口を開けば

あれをしておけばパパは死ななかったのではないか

あの時あちらを選択していれば違う結果だったのではないか

もっとあの時強く言えばよかったのか

自分があの時こうしていれば、パパは死なずにすんだのかもしれない

そんなことをとめどもなく喋り続けました。

 

そして「こんなこと考えても意味ないって分かってるんだけど、考えずにおれないの」とも少し恥ずかしそうに言っていました。

 

若くして出会い、好き合って一緒になった夫婦でした。

その後、ふたりとも二十代半ばでまだ幼い息子(元夫)を連れて

関東から誰一人知り合いのいない関西に移ります。

その時の様子は

「これからは何があっても自分たちだけでやっていくんだ」

というような悲壮感と意気込みがないまぜになったような強い家族の一体感があった、と元夫が私に語るほど、強い絆を感じさせる関係だったようです。

 

けれどその後、義父のやんちゃが過ぎて

義母は想像を絶する苦労を強いられ続けます。

義母が義父と別れなかったのは、

自分が面倒を見続けなければならない身内を抱えていたからで

自分一人ならとっくに家を出ていた、と私にも言っていました。

東北人の義母は、思わせぶりな言い方や話を盛ったりは決してしません。

「やる」と言ったら本当にやる

「やらない」と言ったら絶対にやらない

だから本当に身軽であれば、家を出て一人で生きる覚悟はあったのだと思います。

 

そんな義父が定年で仕事を終え

やっとこれからは少し家族孝行もしようか

という気になった矢先に得た病からの別れでした。

 

同じ時期、友人の子供が亡くなりました。

生まれてたった1日の生命でした。

 

お腹にいる時から色々と問題を抱えているのが分かっていたので

早い時期から専門の施設に入っていました。

友人の家族はほとんどが医者。

専門家として「今回は諦めた方がいい」と

早い段階から彼女に言っていました。

医師だらけの家の中で交わされる強者の論理のようなものに彼女は時々反感を感じながらも、それまで特に反抗したりすることはありませんでした。

でもこの時だけは「何があっても産む」と主張。

 

生まれた子供は、すぐいくつもの管に繋がれました。

そして次の日にあの世に帰っていきました。

 

出産後の彼女に初めて会ったのは

半年くらい経っていたでしょうか。

 

「見てくれる?」と彼女が手帳から取り出した子供の写真。

管に繋がれた小さな体が痛々しかったけど、

あどけない顔がとても愛らしくて、本当に可愛い生命の塊でした。

 

「今もずっと考えてばっかりいるねん」

「なんでたった1日のためにこの世に来たんやろって」

「私が無理させたんかなぁって」

「他の人のところに行ってたら、こんなことにならんかったんかなって」

「私らに何を伝えたかったんかなって」

 

「変やろ?」

「考えたって答えなんかないのに・・」

「意味なんかないのに・・」

 

しゃべり続ける彼女に思わず私は

「意味なくなんかない!」と言ってしまいました。

 

そして、河合さんが言っていたのはこのことじゃないか!と気づきました

 

友人も義母も愛する人との早すぎる別れに、自分だけの物語を必死に紡ごうとしている。

意味づけすることに意味はなく、誰に聞かせるわけでもない。

 

ただ、辛すぎる別れの意味を物語の中に見出さなければ、今自分が立っている位置さえ危うくなりそうな焦燥感にかられて、必死で物語を紡ごうとしている、そのように私には見えました。

 

人間には、心をえぐるような辛い出来事、悲しみに出会った時

その出来事と向き合ったり、戦ったり、やり過ごしたりという現実的な対処とは別に

その出来事と自分を繋ぐ物語を作らずにはいられないのではないか。

体の外側だけじゃなくて、心を守るために。

 

でも自分だけの物語を紡ぐには、それなりの雛形が自分の中にないと難しい。

そして自分で物語を作るには訓練が必要。

だから小さい時から物語に触れて、自分の中に物語の種を育てておくことが、生きていくために大切なことなんだ

ということを繰り返し伝えてくださっていたのではないでしょうか、

河合さんは。

 

本当のところは分からない。

これは私が自分の経験を通して紡いだ物語。

 

「よく子どもができて、やっと夫婦になれた、って言うやん?」

「でも、私らは子どもを亡くしてはじめて夫婦になったな、って言ってるねん」

友人の言葉。

 

生きていくには物語が必要だ

 

多くの人が理不尽な別れや出来事で悲しみに飲み込まれそうな時

その悲しみに寄り添ってくれる自分だけの物語を誰もが自分で作ることができたらいいな

そのために本の中の物語が力になれたらいいな

とひっそり思っています。