医療の目標における微妙な変化
私は1980年代の初め、内科学のレジデントとして働いていました。当時我々の中心的な目的は生命の尊厳を認識することであった。別の言い方をすれば、患者にたとえ一分でも長く生きてもらう価値観である。このために、同僚も指導医も私も、末期がん患者の心臓が止まったときに、心臓マッサージをしていた。1990年代初めから私は十年以上にわたってパートタイムのホスピス医師を務めた。私は、自分のホスピスケアでは人工呼吸器も気付け注射も使わなかった。何よりも、そのホスピスには呼吸器も気付け薬もなかった。私が持っていたのは、聴診器と気道圧計と大量のモルヒネのアンプルが全てだった。ホスピスの部屋にやって来た患者はよくこうコメントしただろう。「この部屋は私がいいようにアレンジしたホテルのような部屋だ」。
21世紀に変わるころ、私は、患者と医師の両方でベッドサイドの「医療の目標」に微妙な変化が訪れたのを知った。この変化は、死を受け入れるよりも新しい生命救済の治療だと望んで、延命治療にもっと重きを置いたことを反映している。
良寛(江戸時代 1758-1831 曹洞宗の仏僧)の詩にはこう書いている。
我々が最終的に完全に捨てきることのできないものはー
先入観、名誉、社会的地位、富、家族の全てを捨てたとしても、人間がまだ捨てきれないものがある。人が捨てるべき最後の自分[自分の考えや意図を主張し他人の言葉に従わないエゴ〕は確かに命の先入観である。(筆者による原文翻訳)
この医療目標の微妙な変化は既に起こりつつある。この変化をどう扱うかは、確実に、21世紀半ばの中心的倫理や社会変化になるであろう。