「修飾も隠蔽もいらない。あるがままでよい。緑の山と青い水で語られるから、広い世界の美は私の眼を満たしてくれる。静かに座して、自然の引き潮と流れを見よ」(「あるがまま」原本からの翻訳。作者の挿入と強調)。

 この「自然」あるいは「あるがまま」は、患者と家族が死に近づいたとき、「先生どうぞ私をあるがままに逝かせてください」「先生、どうぞ彼を(彼女を)自然に逝かせてください」というときに含まれるよく使われる言葉なのである。

 この概念のもう一つの例として、私は読者の皆様に感じることや愛情が核となる心理につながる「仁」の概念を紹介したい。この概念は、全てのものを同じ根を持つ一体として保障し、保存し、教育する柱を表すものなのである。このように、意識するかしないかに拘わらず、患者に気配することが焦点になっている。家族の心理は患者と共にありたいという願望になる。患者の心理と医療者の心理を結ぶのは「仁」の観念なのである。このことは、終末に医療を止めるということに否定的な点を浮き上がらせる。

 総じていうと、メディアや文化による攻撃や賛同の怖れは、この問題点に対して二つの要素がある。AmericanJournal of Bioethicsで、我々は、呼吸器を外すとの決定は、状況にしたがって、ケースバイケースで、付き添う医師の善意によって行われると議論してきた。しかし、他の文脈では、私は、そのほかの理屈が同様な原則を急進的に適用することに対し疑問を投げかけているのではないかと、疑っている。文化的多様性がまた、治療を保留するか停止するかに関して影響を与え、生命倫理の分野に地球的対話がなぜ必要なのか、もう一つの理由を与えているのである。