このような話について書くのはあまり良くないのかもしれない。私はすでに結婚しているし、一児の父でもある。しかしどうしても忘れられない女性がいる。その女性が目の前に現れたとしてもどうなるわけではない。既に彼女も結婚しているからだ。

 

 あれは2018年の7月のこと。私はハノイにあるとある英語サークルに顔を出していた。その前年にはインドに住んでいて、大学の教員らと英語を頻繁に話す機会があったのだが、このベトナムに来てからは全くその機会がない。それで参加していたのだが、目の前に座った女の子がタイプだった。英語が上手というのもあり、あっという間に好きになってしまい、彼女も私のことを好きだというので、すぐ恋人の関係になった。しかし、彼女の両親は「外国人はダメだ」ということで猛反対した。結局、彼女の方から別れを告げられることになってしまう。2019年の1月は、失意のうちに日本に一時的に帰国するのだが、2月頃になり突如として「やっぱりあなたのことを忘れられないからどうしても会いたい」とその女の子から連絡が来た。「しかし結婚できないんだったら意味がないではないか」と私が言うと、「結婚できなくてもいいからどうしても会いたい」という。

 

 結局、そこで私は会いに行かず、12月になって再びベトナムに戻って今に至っている。日本人の評価は高い。娘をよろしくと押し付けられたこともある。それなのになぜ彼女の両親は反対したのか。ずっと気になっていた。個人的な理由だろうということで自分の中で解決していたのである。しかしその理由が最近になってわかったような気がした。吉沢南氏の『私たちの中のアジアの戦争‐仏領インドシナの「日本人」‐』という本を読み、彼女の出身地であるバッカン省が、旧日本軍のベトミン掃討作戦により大変な被害を受けていたことを知ったのである。ひょっとしたら、原因はこれだったのかと思わずにはいられなかった。私たちの中のアジアの戦争 吉沢 南(著) - 有志舎 | 版元ドットコム

 

 彼女の父は共産党の幹部で、かなり偉い人だと言うことは聞いていた。ということは外国人と結婚をするということは、それなりのリスクを背負うことになる。出世も止まるかもしれない。いろいろな情報が彼女を通じて日本人の私に伝わり、外国に漏れるといったようなことも懸念されるのかもしれない。そういったことで、彼女と私は結婚できなかったのではないか。

 

 昨年彼女から連絡があり、

 

 「あなたは日本語の教科書を出したらしいね。買いたいんだけど」  

 

 と言われて安く売ることにした。日本語はあまり勉強する気もないだろうに、どうしてそんな連絡をしてきたのかわからないが、ただこの時もうすでに既婚の私にとって彼女は過去の人だった。それに忘れられない記憶もあった。2021年に、彼女に来てくれと言われ郷里に行ったことがある。そのときにやっぱり怖くなった彼女に逃げ回られてしまったのだ。それからこの女性は信用できないと思った。それにどうもおしゃべりらしく、私と付き合ってることを色々な所に言うので、それがまたすぐすぐ両親に伝わり、秘密ということは全くできない様子で聡明さに欠ける気もした。

 

 今の妻は自分で言うのもなんだが、美人で、家事も育児も熱心なので何の不満もない。だから結果的に結婚をしなくてよかったのかなと思っている