呉善花氏は韓国系日本人で、すでに帰化している。彼女の『漢字廃止で韓国に何が起きたか』 は2008年の作品だ。いささか古いが、ベトナムに住んでいる私にとって示唆に富む。漢字を廃止したのはベトナムも同じ。彼女はかつて自分の説が面と向かって日本人の若手の言語学者によって 批判されたことについて書いている。

 

「私が言っていることは結局のところ表音文字は音声で弁別できる以上の情報を表すことができないということである。つまり表音文字は聴覚情報を単に視覚情報に変換した記号に過ぎない。そして、人間の耳による情報処理能力に対して、目による情報処理能力は比較にならないほど大きなものだ。そういう 論旨を受け取って欲しかった。」

 

換言すれば「百聞は一見にしかず」ということなのである。ベトナム人は表音文字の世界観。日本人は表意文字の世界観に生きている。確かに、漢字学習は時間がかかりすぎるし、国民教育には非効率的な側面があるのも否めない。また女偏がつく漢字はことごとくいい意味ではないなど、あまり気にする人はいないかもしれないが、この現代に漢字本来の有する呪術的な要素も問題にはなるだろう。

 

それにもかかわらず、呉氏の説明はベトナム語学習者の私にはよく分かる話である。漢字のストックを頭に持っていることのありがたみを感じない日はない。例えば 「交渉」という単語はベトナム語でなんというか。Đàm phán という。勘のいい日本人ならこれを見たらわかる。そう、直談判するの「談判」なのだ。だから、ベトナム語は非常に覚えやすい。

 

次に以下の日本語を、漢字の知識を生かしてベトナム語にしてみる。文法はもっと良いのがあるがあまりこだわらない。

 

「この本は日越国交50周年を記念して書きました。」

 

đây là quyển sách tôi viết cho kỷ niệm 50 nam bất đầu quan hệ ngoại giao gữia Việt Nam và Nhật Bản.

 

kỷ niệmは記念

quan hệは関係

ngoại giaoは外交

 

となる。すでに漢字の熟語の知識があるので、日本人にとっては何とも考えやすい。外交という単語は知らなかったが、ngoại が外、giaoは交だから、ngoại giaoではないかと思って言ったら、やっぱり当たってた。知らないベトナム語も、漢字の知識で簡単に類推できるのである。

しかもここで働くのは英語学習の経験である。ベトナム語も、this is a book I wrote for the 50th anniversary of the diplomatic relations between Japan and Vietnam.の文法でいけてしまう。

日本人の受けている教育の利点は率直に言ってすごいのである。

 

しかしベトナム人にとってかわいそうなのは、彼らが漢字を知っていたらすぐに日本語や中国語は容易にわかるのに、それができないことだ。そして、語順が違うし、ややこしいことこの上ない。

 

漢字という東アジアのリンガフランカ(共通言語)をたくさん頭脳の中にストックとして持っている日本人は恵まれている。おそらく 日本人が本気を出せば、中国語も韓国語もベトナム語も難しくはないのだ。ただ日本人は音痴(歌が下手という意味ではなく V と  B の区別がつかない 、L と R の区別がつかないなどのこと)なので会話の能力とは別である。英語 などという相性の悪い言語よりよほどこちらの方が日本人に向いている。

 

大嫌いな漢字学習に時間をかけているのを無駄にするなということである。日本で一番住んでいるのは、中国人でありベトナム人。英語よりも彼らの言語を勉強すべきと思う。それは日本語自体を生かす道でもある。