等身大のベトナム人を知ってほしいと願い、日々つけている日記を本にしました。kindleアンリミテッドでもご覧いただけますので、ご興味のある方はお手に取っていただければ幸いです。

ベトナム人と日本人①

―日本人歴史研究家のハノイ日記―

 

目次

はじめに 日本人としてベトナムについて知っておきたいこと... 2

四月七日 薬をすぐに飲みたがる人たち... 10

四月八日 葬式動画の投稿が増えている... 12

四月九日 自由な国ベトナム... 14

四月一〇日 旧日本軍の独善性を継承する日本人... 15

四月一一日 ベトナム人の過剰な助け合い... 19

四月一二日 日本語が下手なベトナム人教師のこと... 22

四月一三日 馬や羊と触れ合えるテーマパークに行く... 24

四月一四日 「家を買うからお金を貸してほしい」義弟との対立... 25

四月一五日 日本人の無駄遣い... 27

四月一六日 糖尿もまた良し... 28

四月一七日 ある日本人のこと... 29

四月一八日 フン王命日の祝日... 30

四月一九日 包装紙に捉われ、人の能力を問わない国... 30

四月二〇日 変なアルバイト?... 32

四月二一日 ベトナム人から騙される... 32

四月二二日 真面目人間の怪しさ... 33

四月二三日 ベトナム人教師から送られてきた謝罪文... 35

四月二四日 ベトナム人新婚夫婦宅へ行く... 36

四月二五日 二歳の娘のベトナム語で分かった日本語は簡単... 38

四月二六日 タインホア省に向かう... 39

四月二七日 〈ありがとう〉を言わないベトナム人、言いすぎる日本人... 40

四月二八日 サムソンビーチへ行く... 42

四月二九日 片づけないベトナム人と自分まで片付ける日本人... 43

四月三〇日 タイ資本のビッグCへ行く... 44

おわりに 東南アジアへの〈移住〉という生き方... 44

 

はじめに 日本人としてベトナムについて知っておきたいこと

昨年(二〇二三)は日越国交樹立五〇周年だった。これを祝す意味もあり、筆者は、共著者らとベトナム人の会話力向上を目的として『ベトナム人のための日本語会話』(三省堂創英社)を出版した。両国関係と相互理解の深化を願ってのことである。

現在、日本で生活しているベトナム人の数は五六.五万人だという(二〇二三年一二月末の法務省出入国在留管理庁発表による)。これは中国人に次ぎ二位である。それにもかかわらず、ベトナム人については韓国人、中国人ほどにはよく知られていないのが現状であろう。ベトナム在留の日本人は二万一八一九人で、国別一三位、前年比▲一.六%減だという(2023/06/12 Vietjo)。こうした非対称性も理解が深まらない原因の一つだろう。外国人を知ることは日本人を同時に知ることであり、とりわけ同じアジアのベトナム人は、兄弟のような存在である。しかし、日本人とは似て非なるところももちろん多い。

地理的には東南アジアでありながらも、文化的には東アジアに属しているのがベトナムである。ベトナム、ラオス、カンボジア、タイ、ミャンマー、マレー半島、シンガポールを含むインドシナ半島とは、インドとシナ(中国)の間の半島という意味である。ベトナム語ではBán đảo Đông Dươngという。日本語にすれば、〈東洋半島〉となる。東洋史学者の津田左右吉[i]は、本来〈東洋〉とは、フィリピン群島を含む航路を指し(いわゆる南シナ海)、〈西洋〉とはインド洋のあたりを言うに過ぎなかったと指摘した。この言を念頭に踏まえると、このベトナム語の語彙に本来の語義が残っていることが分かる。しかしながら、これは大風呂敷のように飛躍し、やがてアジア全体を意味するようになり、〈西洋対東洋〉といった言説ができてしまう[ii]。根深い対立を示す観念として独り歩きしたのである。

実際には、津田が言うように「アジアは一つではない」し、東南アジア各国を見ても、宗教、文化、人種、言語など異質でバラバラである。仏教一つとっても、ベトナムの大乗仏教と、タイなどの上座部仏教とで異なっている。それを、多くの日本人はASEAN、東南アジアということで一括りにして理解しがちだ。この巨大空間を一つとみなしたのはアジア主義者の誤謬にすぎないが、過去何百年と欧米侵略の被害者として彼らの置かれていた状況は似通っていたから、そのような言説が生まれてしまったのである。・・・

 

以下はお買い求めいただければ幸甚です。

 


[i] 詳しくは大井健輔『津田左右吉、大日本帝国との対決』勉誠出版 二〇一五 参照

[ii]「概していうと、フィリピン群島方面が東洋、それより西の方の群島及び、沿海地方、並びにそのさきのインド洋方面のが西洋といはれたらしい」(一〇八p)との津田の言は、このベトナム語の語彙からも裏づけられる。(『支那思想と日本』岩波書店 一九三八)