筆者の日本人への根本的な疑問が始まったのは、中学生の時。当時、劣等生の筆者は習い事として将棋をやっていた。その日、クラスメートで将棋仲間のイワイという男と将棋の話をしながら道を歩いていた。すると、気が付いたらイワイがいなくなっていた。イワイは五段の筆者より弱く、初段程度だった。弱かった筆者があっという間にイワイを抜いたので、ちょっと嫉妬心があったように思う。どうして何も言わずにいなくなったのか。前から不良が歩いていたのだ。イワイは奴らに気づいていた。気が付かなかった筆者はあっという間に絡まれて「1万円出せと」カツアゲされそうになった。蹴とばしたり、「この野郎!」とでかい声を出したので、周囲の目を気にして、彼らは何もしてこなかった。

 

この時からイワイの存在は仲間から軽蔑の対象になった。もちろん、彼のような人間ばかりではないだろう。しかし、その日から周囲のクラスメートを見ていると、いじめられている学生がいてもほとんどが見て見ぬふりをする輩ばかりだと気が付いた。その比率が多すぎるのだ。主観的には8対2だ。今もなおしきりにLINEで詰将棋を送ってくる友人は中学時代の同学年の男で、「君だけはいじめられている僕を助けてくれた」と43歳にもなって筆者に恩に着ている。ちょっとした正義感と、空気が読めない、それはささやかな筆者の誇りなのだが、中学校、小学校もまさしく日本社会の縮図であり、腐っていた。不義に立ち向かう勇気がない、空気を読むだけで自分の意見がない、相も変わらず〈隣百姓〉精神(隣が種まきしているから、ウチもするわ)の発揮などを身につけさせられる。

 

日本人を研究する有効な方法はなんだろうか。それは歴史学を学ぶことではない。今の歴史学はいわゆる実証主義史学であり、古代なら古代しかやらずと時代をぶつ切りにして、現在のわれわれにつなげてみていく視点が欠落している。必要なのは思想史学である。この学問をしていると、古代がどうとか中世がどうとか言ってられなくなる。思想史とは日本人の言葉を学ぶのだから、その変遷は現代なら現代と過去と切り離しては役立たずなのである。

 

それでは、接近すべき先学はだれなのだろうか。それは「日本近代最高の歴史家」と呼ばれる津田左右吉であり、至高の日本人論を残した山本七平(〈空気〉分析の元祖)だろう。この二人に比べたら、多くの論者はかなり小さく見えてしまうのは間違いない。

 

今となってみれば、なぜ山本が津田左右吉をあれだけ尊敬していたのかよく理解できる気がする。二人は日本人に対する根本的な懐疑心がそっくりである。津田のその精神性を継いだのが山本なのである(実は司馬遼太郎も似ているのだが)。筆者は、津田左右吉の次は山本七平論を書く必要があるかもしれない。山本日本学を発展させた小室直樹は、山本は「少ない知識で本質を見破る天才」と述べたが、その知識が少ないことはない。その辺の学者は山本の学識の足元にも及ばない。

 

久しぶりに『「空気」の研究』を読んだ。二〇代の自分には何もわかっていないことに気が付いた。読めてなかったのだ。あまりの的確な指摘の数々に舌を巻き、山本が不世出の天才であることを再確認した。津田と、山本こそが日本の伝統と対決してきた。実は伝統と対話し対決しろと言ったのは、『日本の思想』の丸山眞男である。そうしないことは伝統が明確に意識できないからだ。それを発展させ継承したのが日本倫理思想史の相良亨である。

 

保守の大勢は、伝統をただ守れと絶叫するだけで対決姿勢がない(その典型を上げてもいいが、もう少し後で)。従って、何が日本の伝統なのかの意識化がない。そんな思想はout of the questionであろう。この点がいまだに見落とされているため、今の保守論者の多くには期待してない。空気」の研究 (文春文庫 (306‐3)) | 七平, 山本 |本 | 通販 | Amazon