平成一一年(一九九九)の著書で林秀彦はオーストラリアに移住をしている時にバングラディッシュから留学してきていた青年と会話をしたことを明かしている(『日本を捨てて日本を知った』)。

 

 「どうしてあなたは日本という素晴らしい国に住む権利があるのにこの国に来ているのか」尋ねられた林は、「日本にいてもすることがない」と 曖昧な返事をした。

 

 すると バングラデシュの青年はびっくりし、「一体 それはどういう意味ですか?」と問いただす。 「そんな、あなたは年を取っているではありませんか」 と言う。

 

 「どういう意味だ」と林が聞くと、「年をとっているのだから それだけでもすることがあるだろう」と。 「それはどういう意味だ」と林は訝しむ。

 

  「日本にだって若者はたくさんいるでしょう」。「若者はいるけれど」。 「だったら老人は忙しくないのですか」。 「なぜ?」。「色々聞かれるでしょう」。「 何を?」。「あなたの知恵や経験を」。

 

 ここで 林は少し 彼の言う意味が分かってきた。「いや そういうのは日本では時代錯誤になっているんだ」。青年は「時代錯誤?」と言って彼の方こそ 林の言う意味がわからなくなってしまった。

 

 林は答える。「日本はそういう国ではなくなってしまっているんだ 。大昔は村の長老 なんて存在が日本にもあったが」。 「じゃあ 日本の年寄りには義務がないんですか」と 青年は言う。「義務?」 その言葉は林の胸をついた。

 

 お互いが同じ土地に存在しても何ら交差することなき日本。教育・勤労・納税の義務しか知らず、個々は社会に対し権利だけ求め義務を負うことなき国。そんな林秀彦の日本人への絶望は、先に触れた十年後の平成二一年(二〇〇九)の『憎国心のすすめ』に結実していったのであった。

 

 そういえばベトナム人義母も孫の世話や教育、雑貨屋の経営で忙しくしている。林は言う。「老人に権利だけあって義務が何もない日本は、やはり、 それだけでも 路頭に迷っているのである。人は権利を剥奪されると 目くじらを立てるが、義務には剥奪されるという受け取り方がない。義務感の喪失が権利の消滅 と同じほど 不幸であることに気づかない 。いや、時には義務の剥奪は権利の剥奪 以上に人をむしばむのである 」。

 

 林の言う通り、権利とは他律的に過ぎず、義務は自律的なものであろう。それを求めないというのは、日本人の生き方の是非が問われているのだと思う。「粗大ゴミ」人間と揶揄されて果たしていいのか。老人には老人の〈役割〉がここでも存在せず、その結果行き場を失っているのである。