今日は昭和一桁世代の愛国について触れてきたいと思う。戦争を経た昭和一桁世代と昭和20年代生まれの団塊の世代とでは雲泥の差がある。昭和一桁世代には良いナショナリストがたくさんいる。最近評価されている小室直樹も昭和7年(1932)生まれだ。


私の養父故児玉和男は、戦前の昭和9年(1934)生まれ。両親のない私はわけあって血縁はないが彼の養子にして貰った。元新聞記者であった。彼に育てられたことが私の誇りの一つである。


昭和一桁世代なので、子供時代の大日本帝国時代の教育も知っていた。戦前と戦後を生きているのでまだバランス感覚に秀でていた。戦後の平和主義の偽善も嫌っていれば、大日本帝国の行き過ぎた国家主義についてもよくないという思想を持っていた。


「日本の憲法は素晴らしくて九条は世界の誇りなんだってさ」


などと私が中学からの帰りに言うと、社会担当の団塊の世代渡部教諭が子供に変な事を教えてると心底憂い


「いやあの憲法はだな、マッカーサーが作ったもので 以下略」


と一から教えてくれたものであった。かと言って戦前の日本を過剰に賛美した言論は些かも認めなかったのである。


そんな養父ですら何度も


「あの戦争はやむを得なかったんだ。父が真珠湾攻撃の一報を聞いて興奮していたのを今も鮮明に覚えている。その記憶が何度も蘇るんだよ」


と語った。


2004年ころから私の家にはよく産経新聞社の『正論』が送られてきていた。『正論』の一大スポンサー氏が知り合いだったからである。養父は


「いつもこの雑誌が送られてくるが、東京裁判史観がけしからんとか、同工異曲(見かけが違うが中身が同じこと)で全くつまらん。送り主は本当に偏った人だな」


と言ったものである。要するに『正論』の論調は戦前・戦中の日本に対する弁護一辺倒で、この時代を客観視して捉えていないと養父は批判するのだった。私は『諸君!』誌を好んで読んでいた。



『正論』には盛んに昭和5年(1930)生まれの渡部昇一が書いていた。いつも渡部の書くものは毎回同じような内容の繰り返しで、その名前があるだけで読む気が失せた。しかしながら、その渡部ですら昭和史の軍部のやり方に関してはかなり批判的であったと記憶する(『日本史から見た日本人昭和編』など)。最近の渡部らに影響を受けた論者は、渡部のこの側面について見落としているのではあるまいか。彼と仲のよかった昭和4年(1934)生まれの谷沢永一にしてもバランス感覚に秀でていた。



同じ昭和一桁世代の、昭和7年(1932)生まれの石原慎太郎氏も『NOと言える日本』(1989)などで過激なことを言うようで、大日本帝国を一方的に賛美するようなことはない。しかしながら本質的に彼はナショナリストだから大日本帝国のカッコよい時代も知っている。その側面を石原氏が強調しすぎると、石原氏が好きだった養父和男は


「ちょっと石原は大上段に振りかぶりすぎるな」


などと言ったものである。



石原氏の盟友には、昭和7年(1932)生まれの故江藤淳がいて、江藤の思想も石原同様アメリカには批判的であり、戦後民主主義を素朴に信じ込み平和運動に血道を上げている連中については「ごっこ」の世界のなかで遊んでいると痛烈に批判していた。その江藤もバランス感覚に秀でていた。


だが

昭和一桁世代から遠ざかるほどに歴史感覚はおかしくなるのである。私が直に一桁世代を知っていたのが幸いだった。団塊の世代の一部の愛国論者の胡散臭さに気がつくからである。


簡単に言えば、団塊の世代ら戦後派には皮膚感覚の中に大東亜戦争がしみ込んでいない。だからルーズベルト陰謀論、コミンテルン陰謀論、ユダヤ・フリーメーソン・イルミナティ陰謀論など全てを解決してくれる魔法の杖を用いて、あの戦争の意味を論じたがる。


私は陰謀がこの世の中にあるのは否定しないが、陰謀論ですべてを語る論者を心の底から「バカ者だ」と軽蔑している。これは明日のテーマであるから再論する。


特に団塊の世代のチャンネル桜代表の昭和24年(1949)生まれの水島総氏や、彼と対立した昭和23年(1948)生まれの元航空幕僚長田母神俊雄氏らの歴史観は陰謀史観に偏る傾向がある。


他にも無知だったころの私を目の前にして


「お兄ちゃん。世界はこういった陰謀が動かしているんだよ」


と得意になって教えてやると言った人たちを忘れない。なぜか殆どが団塊の世代とその前後の世代であった。


私がある掲示板で昭和史批判をして追放処分を食らったとき、


「この若造は所詮は〈東京裁判史観〉にとりつかれている」


と述べた某団塊の世代氏の言を忘れることはない。追放を決めた掲示板管理人も団塊の世代であったが、ゆく先々でことごとく私を愚弄したのはこの世代であった。


「東京裁判史観」なる便利な言葉を取り出し、誰かが昭和史を批判すればそれを錦の御旗にしてまくし立てて、相手側にレッテルを貼り付けて健全な歴史批判を封殺するのである。これは彼らが若い時分になんとか「ファッショ」だとか述べて内ゲバをやっていた時の精神性と何一つ変わらないのである。



少なくとも昭和一桁世代にはそういった偏向した姿勢は希薄であった。もっとバランス感覚に富んで、自分たちの国を愛していた。バランス感覚とは自分でものを考える姿勢があるからこそ生まれるのである。それが人の思考力を育み、健全な愛国心を育てるのではないだろうか。


1960年代後半の全共闘時代。集団で狼藉を働くしか能がなかった、個人性が欠如した若者たちが団塊の世代なのであった。


この世代の象徴、昭和22年(1947)生まれのビートたけしが言っている。


「赤信号みんなで渡れば怖くない」



これほど日本人を表した言葉はないと言われるが、それは間違っている。日本には赤信号で立ち止まる人間もいたし、そういう空気感に逆らう人間が日本をリードしてきたのである。


むしろこれは団塊の世代自身の彼が、間近にその愚劣さを見てきたがゆえに、彼らの主体性のなさを暴露した言葉と解釈したほうがいい。


自立してモノを考える習慣が欠落し安易な陰謀史観に走って性急な答えをだしたがる人々。


夏目漱石の小説にこうある。


「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変わるから他にも自分にも解からなくなるだけのことさ」(『道草』)



私は「団塊の世代とその暴力性」で、団塊の世代の暴力的傾向は全共闘の狼藉、家庭内暴力、東南アジアでの買春、フィリピンで日本人男性らに捨てられた10万人にのぼるジャピーノ、AVブーム、セクハラ、パワハラ、高齢者の犯罪率増加にまでつながっているのではないかと述べた。


実はこの漱石の言葉は自著にも引用したお気に入りの言葉なのであるが、団塊の世代の本質を言い当てているように思われてならないのである。


「全共闘は若気の至りで」とは言わせない。高齢者犯罪、陰謀史観の独善性まで続いている。