8月11日の『山の日』は山に親しむ機会を得て山の恩恵に感謝する祝日として2016年に制定され、国民の祝日が年間16日となりました。
日本の山のシンボルとされる富士山には浅間神社があり、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)が祀られていますが.........、
日本の山の神様でもあり海の神様でもあるのは、
木花咲耶姫の父神『大山積神(おおやまつみのかみ)』で、イザナギとイザナミの子供で天照大御神の兄になります。
日本の総鎮守と呼ばれるは『大山祇神社』は、
瀬戸内海・芸予海峡のド真ん中、本州と四国を結ぶ3本の橋のうち、一番西の9つの橋を渡るしまなみ海道の代表的な島『大三島(おおみしま)』に。
⇨ 尾道(広島から東へ約80km)~今治(松山から北東へ約40km)の中間地点。
その昔『御島』とも呼ばれた『神の島』で、
別名『和多志大神(渡し大神)』と呼ばれる我が国建国の大神が鎮座しているのです。
一の鳥居は一本の石造りで材質、大きさともに日本一を誇り、宮浦港に面して建っていて、
昔ながらの商店街の参道を歩くこと約10分!
岩肌剥き出しの迫力満点、物凄いパワーを放っているのではないか?という山が見えると、
二の鳥居(境内入り口の大鳥居)が現れます。
平安時代に日本三蹟の一人といわれた藤原佐理が『日本総鎮守大山積大明神』と直筆・奉納した神号扁額が掲げられ、
『社号標(大日本総鎮守大山祇神社)』は、
初代内閣総理大臣伊藤博文(昭和の1000円札の肖像)が明治42年の参拝記念に書いたもの。
御社号は『日本総鎮守・三島大明神・大三島宮』と称し、伊予一の宮、官制時代には『国幣大社』にも列せられた四国唯一の大社です。
平成22年に約700年振りに再建された総門から入る境内があまりに広大でビックラポン。
天皇陛下と彫られた『日の丸掲揚台』と
総門の扁額を見上げて妄想モード突入!
神武天皇の東征に先駆け、ご祭神『大山積神』の子孫『小千命(おちのみこと)』が、伊予二名島(四国)に渡って、瀬戸内海の治安維持につとめていた時、
芸予海峡の要衝である『大三島』を神地として『大山祇命』を祀ったのが始まりとされます。
総門をくぐった正面の突き当りにあるのが、
その左手に『葛城・祓殿神社・伊予国総社』
参道左手には『十七神社』に全国八百万の神々が祀られているようで、なんだか?とっても凄い所へ来たんもんだ~~っ!と絶句!
本殿に向かって立っている金色の像は....、
鎧を着て戦に出陣し勝利を収めたといわれる戦国のジャンヌ・ダルクのような『鶴姫』。
⇨ 恋人の死を知って自らも海に身を投げるという悲恋物語がありました。
神事の始めと終わりに右の本殿を向いて3回づつ拝礼をされていたのは、以下のの3社を合わせて『大山祇神社』と崇め奉られていたからでした。
(本 社) 大山積神
(上津社) 姫神・大雷神
(下津社) 姫神・高龗神
塀の外周に祀られる社の雰囲気も凄く良くて、
特に本殿真裏にある安産祈願の赤い幟が立った森閑の中の3社は別格の木花開耶姫命&出産された火々出見命、火須勢理命を祀る姫子邑神社。
境内を右手に突き抜けて、3本の『宝篋印塔』に手を合わせてから、社殿と宝物殿の間を流れる川に沿って上流へと向かって行きます。
『奥の院・生樹の御門』の案内板に従って、風情ある民家の中の細い道を進んで行くと
案内がなくても、直ぐにそれと分かる大木がユラユラと、まるで包み込まれるようなオーラ?
生樹の御門とは、樹齢約3000年と伝承される根周り32m、幹周15.5m、高さ10mの巨大な老楠。
⇨ なんだか山道を歩いて山の神のエネルギーに触れてみたくなってきた〜ッ✨✨
笑・笑・笑・笑・笑・笑・笑