滋賀県の県庁所在地・大津市にあり、な〜んと奈良に平城京が置かれる前の約5年間だけ、ここが日本の都だったのです。
そして、ご祭神の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)&建部大社が第二次世界大戦後のインフレ抑制のために発行された日本初の千円札に描かれましたが、通用期間は新円切替までの超短期間の7ケ月間だけでした。
ここ瀬田川は古代日本での最大クーデター『壬申の乱(672年、皇位継承を皇太子と天皇の弟で1ケ月間も争った)』の舞台となった場所で、天武天皇白鳳4年(675年)に日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を祀ったのが建部大社の始まり。
☞ 聖徳太子(574〜622)は亡くなっていて、奈良の大仏建立(747〜752)や弘法大師(774〜835)が産まれる前のことなのです。
月に1度の勢多市で賑やかな一ノ鳥居から続く参道を歩きながら、日本の大変革のタイミングに絡んできた日本武尊&建部大社は、コロナ禍明けにご挨拶する神社に相応しい?と思えたり、
今年3月に TVで観た日本武尊の白鳥伝説が気になり大阪府羽曳野市にある白鳥神社&白鳥陵古墳にご挨拶したことなどを考えながら、左折すると、
二の鳥居があり石灯籠が並ぶ玉砂利参道を進むと幅広な神門が現れ、お宮参りの参詣者が沢山。
目の前に聳える三本杉は755年に大己貴命を権殿に奉祀された際、一夜にして成長したとされ、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)&大己貴命をの二柱を祀って近江国一宮となっていました。
『えんむすびの神』の看板がある『大野神社』には、建部大社が鎮座する前からの地主神・草野姫命(かやのひめのみこと)が祀られていました。
三本杉から一直線に並ぶ本殿(正面左側)には日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が、権殿(正面右側)には大己貴命が祀られていて、
清々しい空気が通り抜けて、しばしの休憩です。
本殿裏手に回ると、柵の間から木の棒が3ケ所から突き出ているのでビックラポン。
木の棒の中央には幅2・3㎜の切込みがあり、ゲームセンターでコインを投入するように斜め下の折敷へと伸びていて、その先には特別天然記念物の菊花石。
花びらが16枚の八重菊が天皇家の御紋なのですが、菊の模様が自然の力で入るなんて........?。
次の棒の先には神鏡、一番奥には菊紋壺が同じようにありました。
右手の下座4社には、日本武尊の遠征に付き従った家臣たちが祀られていました。
上座4社の隣にある『願い石』は、白石を持ち帰って、願い事を石に書いて朝夕願掛けをして、願いが叶ったら神様に返しに来る(右のカゴに沢山入っていました)というもの。
境内右奥の杜の中には水神が祀られていて、湧き出る水が、社務所横の水盤&水琴窟に引かれていて、雫のひびく音に心が癒されました。
一番迷ったのは、ド派手なおみくじでしたが、
ご朱印だけにして元宮の建部神社へ向かいましたが、久々の日曜日の好天はドライブ日和というより右腕の日焼けが気になる〜〜ッ✨です。
笑・笑・笑・笑・笑・笑