30にして立つ、という言葉は耳にすることはありますが80にし
て走るなんていうのは並大抵ではありませんな。”今年はランニン
グをしたい”とおっしゃる方は、ご自身の80歳の誕生日を祝う会
で巨人軍の長嶋茂雄終身名誉監督は今年の抱負をそう述べてあった
そうです。傘寿を迎えた2日後、初のリハビリを行った雄姿をみれ
ば、その言葉を大言壮語と一笑には付せまい”。今年にはいりリハ
ビリにも変化が出てきました”とは10年以上リハビリ現場を見続
けるスポーツジャーナリスト。”素振りの回数が増え、介護士に、

二人三脚のような形で支えられながらですが走る練習を始めていま
す”。驚異的な回復の原動力はミスターの飽くなき執念だ。”アテ
ネ五輪を目前に倒れた長嶋さんにとって、日本代表の金メタル獲得
は悲願、4年後の東京五輪を見据え、全力でサポートするために雨
の日も風の日も休まず続けた努力が実を結びつつありますのです”
日本野球界の生ける伝説が傘寿を迎えて走る道は末広がりに開ける
か”とは別のスポーツジャーナリストの弁。実は私はナガシマさん
には謝らないといけないことがあるんです。私はナガシマさんの

ことを誤解していました、いつでしたか痛々しい姿でテレビに出て
いたことがあったんです。私はナガシマさんの勇姿が青春時代から
の憧れであり、丁稚奉公時代に挫けそうになる私に元気を与えてく
れました。あの華麗なプレーは歌舞伎の立ち回りをヒントにしたそ
うですね、全力疾走、全力プレー、平凡な三塁ゴロでも難しく捕球
して一塁の王選手に投げる、、そんなプレーをショートの広岡選手
は嫌って難しい打球を簡単に捕球したそうですよ。ナガシマさんに
言わせれば憧れや夢を描きながら球場に足を運ぶ少年たちに希望を

与えたかったとインタビューで答えていました。そんなナガシマさ
んが弱々しい醜態を曝すなんて三流の目立ちたがり屋と同じなんだ
と思いました、ところがNHKの百年インタビューで”テレビ出演の話
があり最初は断りました、しかしテレビ局からリハビリで苦労する
姿やその後の改善する様子をみてもらうことでリハビリ中の方の励
みになればと思い直してお受けすることにしました”と甲高い声で
話してありました。私はナガシマさんがあの甲高くてツヤのある声
が健在である限り昭和の火は燃え続けると思いました。で、余計な

ことですが、 百年インタビューの中で手塩にかけて大打者に育てた
松井秀樹氏との師弟関係を熱っぽく語ってあり、いたく感動いたし
ました、しかしですね、チームをひとつにして戦うなかで和を乱す
というか、僻み根性を抱いた選手はいなかったんでしょうかね、ま
ボケ寸前の老人のいうことですから気にしないでください。それに
しても松井氏は人気がありますね、次期監督だとかなんとか、キャ
ンプでは高橋監督の影が薄くなるようだったと三流誌が囁いていま
したよ(ポカッ!そりゃあんたでしょ)"

” ピッチャーゴロは、取らないで俺に任せろ! サードとして
一番の見せ場なんだから” 長嶋茂雄  代読ぐっさんハイ
病院に収監される前からラッキーの連続でした。入院する10日程
前でした、出稼ぎをしていたマレーシアの仲間から電話がはいり、
ひさしぶりに帰ってきたらという誘いがありましたので、矢も楯も
たまらずベトナム経由でマレーシアにはいる日程をたて旅行社に支
払いを済ませていたあとの急変でした、もし、あのまま決行してい
たらお陀仏だったかもわかりませんでした。もちろん最大の幸運は
H先生に出会ったことですが、その先生に化学療法を受療中に2度

ほどピンチを助けて頂いたことがあるんです。5ケ月に及ぶ治療の
中で死ぬかなと思った最初のピンチは内蔵破裂を免れて一週間たっ
たときのことでした。左あごの下が腫れてきたのです。最初は痛み
もなく大したことはないと気にしないようにしていましたが痛みと
一緒にお多福みたいに腫れ上がってきました。症状を診る担当医の
緊張した顔をみれば深刻さが分かります。かみさんは泣きそうな表
情をしています。患部に針を射して細胞を採ることになりました。

生憎く偉い先生を先頭に患者を巡回する回診日でした。私のベット
の周りは偉い先生をはじめ多くの先生や看護師が担当医の細胞採取
に目が注がれ”動脈に注意して!”などの声が飛び交います”チカ
ッとします”の声と共に注射針が体内に刺さります、緊張のためか
痛くありません。細胞が注射器の中に入ってきます、すると誰か”
脂肪が入っている”と言いました。”ニキビに細菌が付いていたん
だ”とまた誰かが言いましたら今まで恐怖と緊張感で張り付いてい

た体がベットに沈んでしまいました。私の病状は血液のガンです。
つまり体内を流れる血液が侵されていますから腫瘍は漂って不着し
て、そこからも発症するという厄介な代物です。二度目のピンチと
いうのは絶食状の1ケ月経過した頃でした。いつものように排便し
たあと体調チェックのため便器をしげしげと見ましたら、ドロッと
した真っ黒な便があり私は動転して看護婦さんを呼びました。その
あと見習いの医師が飛んで来て内蔵のどこかに転移しているかも分

からないと深刻な顔をして言うじゃありませんか。私はショックの
余り声も出ませんでした。新米医師は便をとって検査すると言いま
す、検査時間の長いこと、その間ロクなことは考えません。なかな
か結果が知らされません。不安な気持ちで新米先生に恐る恐る催促
しましたら、”アッあれは異常ありませんでした”とケロッとした
顔でいうじゃありませんか。腹が立つやら、ほっとするやら、その
原因を聞きましたら人体のメカニズムを知らされました、つまり長

いこと口から食を採らないと胆汁なる分泌物が出てきて食い物をよ
こせと催促するんだそうですな。それが真っ黒い便になって合図す
るんだそうです。言い換えたら私の体は極めて良好に機能している
と担当医に教えられました。新米医師は将来産婦人科の医者になる
そうですがパシリならパシリ(伝令)らしく担当医の診断の結果を
素直に教えてくれりゃいいものを、もったいぶって大げさに言った
ことがこの騒動の発端でした。担当医は若輩だけに余計な神経を遣
っているなということを垣間見た事件でした。

  名医の条件のひとつに患者の気持ちに寄り添った気配りが
  できるということを痛感した事件でした ぐっさんハイ!


ここの病院には研修医なる医師がいます、この医師は将来、専門の
医師を目指していますがその過程において志望科目以外の学科で研
修して医師として幅広い知識と技量を高める制度があることを入院
して知りました。で、その研修医は私の担当として治療中、二人の
新米先生にお世話になりました。ひとり目のは耳鼻咽喉科を目指す
N先生で叔父さんの跡を継ぐということもあって、どこかのんびり
して、ひとの良さが表に出てよくしゃべり化学療法で毛が抜けた

ときなんか”あそこのも抜けるんですか”と惚けて聞かれて往生し
ました。”個人情報に関しては答えられません”と大笑いをしたり
”奥さんかっこういいですね”とかダジャレを(ちょっとダジャレ
はないでしょ)、まあそんな交歓しながら私とは雑談で油を売って
楽しかったですな。雑談と言えば”研修生のサラリーって幾らか知
ってますか”と突然の質問に本人を前にしてあまり低額では失礼に
なると思って”30万円”と言いましたら”とんでもないその半分

です”と吐き捨てるように答えが返ってきました、”15万ですか、
そりゃ大変だ“と同情したことから親しみが増したのか、あるいは
練習になると思ったのか知りませんが、抗がん剤を投与した後の腫
瘍の経過をチェックする測定器のエコーを頻繁に使って患部の動き
を測定してくれました。私にとっても不安の解消というか腫瘍が小
さくなったと言われたときは嬉しかったし励みになりました。傑作
だったのは慣れないため力を入れ過ぎて、おなかを押すものです、

から、途中でウン〇をしたくなってトイレに駆け込んんだこともあ
りました。二人目の研修医は江夏という、阪神タイガースの投手だ
った選手とおなじ名前でしたが名前負けした優男でした。医者らし
く感情を表に出さないポーカーフェイスで、ある意味で医者適して
いるというか腹が読めないドクターで将来は産婦人科の医者になる
そうで担当医の伝令として顔を出すんですが、決まって深刻な内容
に担当医に確認してほッとするということが何度もありました。

つまり習ったことを大げさに言いたがるんです、担当医に確かめる
にしても彼らの立場もありますから結構、気を遣いました。幸いに
して私はそんなことはありませんでしたが、担当医や看護師に研修
医の話をして嫌がらせをされたということもあるんだそうですよ。
人間の世界って嫌ですねえ。最終コースのときは厄介な新米先生が
居ないと聞いて正直、助かったと思いました。だって新米先生の顔
を立てないと人間関係がギクシャクするでしょ、患者には気を遣わ
せる制度だと思いました。

 結構病院では患者の目線は置き去りにされていると思いました
    置き去りにされていることに慣れている ぐっさんハイ