寅さんが葛飾柴又から姿を消して早いもので今年で20年に
なるんですねえ。柴又のだんご屋さんでは寅さんがいつ帰っ
てきてもいいように「予約席」が確保してあるそうです。こ
ないだ寅さんシリーズ7作目の「奮闘編」(昭和46年)を
みましたが、そのときのマドンナは榊原るみで精神虚弱の娘
さんの役で今の時代ならセリフや役どころに神経を遣わない
とウケない人物を主人公にして、寅さんの人情ぶりを落語の

小さん師匠がラーメン屋の親父として寅さんに”(ラーメン
代は)いくらだい”と問われて”80円”と応えたり交番の
おまわりさんでクレージーキャッツの犬塚 弘が脇役で出演
当時は寅さんより売れていた田中邦衛が榊原を支える学校の
先生役で顔を出していました。余談ですが加山雄三がいうに
は”田中邦衛さんは、とっても面倒見のいい方で、あのひと
がいなかったら若大将シリーズも続かなかったと思う”と、

いうぐらい頼りになったと言っていました。寅さんとの仲も
そんな具合だったのではと思います。いつの番組か忘れました
が寅さんのおっかさん、つまり田所康雄の母親が”康雄は、ち
ゃらんぽらんな顔をしていたが、女の子には人気があった、よ
くモテたわよって近所のおばさんに自慢していたが、ちゃらん
ぽらんはないよね、自分で産んでおいて。だからさ、いつも振
られている寅さんとは違うんだい”とインタビューに応えてい

るシーンがありましたが、晩年の寅さんは、年々弱って渥美 
清こと田所康雄とのギャップを埋めるのに四苦ハ苦していた映
像が残っていました。あるロケ地で色紙をもった中年の男性が
”渥美先生”と愛想笑いをしながら駆け寄っていました。とこ
ろが寅さんは、それを無視するように車に乗り込んでしまった
のです。”あの野郎少し売れるようになったと思ってお高くと
まりやがって”という罵声を耳にしながら、車の中で”寅さん

は24時間、寅さんじゃないといけないんだね”と寂しそうに
呟いていました。芸能界では目立ちたがり屋が横行する中、渥
美 清こと、田所康雄ほどプライベートな部分はたとえ同志の
ような山田監督や妹のさくらにも住所すら明かすことなく寅さ
ん一途の孤高の道を歩み続けたんですねえ。プライベートとい
えば息子・健太郎は平凡なサラリーマンとして過ごしているそ
うですが私はタモリの赤塚不二夫のお別れとともに素晴らしい
スピーチが耳に残っています。合掌。

 ”寂しさなんてのはなぁ、歩いてるうちに風が吹き飛ばして
 くれらぁ。 (第44作:寅次郎の告白)   ぐっさんハイ 

五輪ニュースの連発で間の抜けた出前になってしまいましたが
大相撲名古屋場所もモンゴルから出稼ぎに来た日馬富士に天皇
杯を奪われてしまいました。和製のホープ稀勢の里は、また次
点として来場所に期待をつなぐことになりました。協会は3敗
でも逆転優勝すれば横綱に推挙するとして稀勢の里に奮起を促
しましたが徒労に終わりました。協会は遮二無二に和製の横綱

を作りたがっているように見えますが、ツキや勢いで昇格させ
ようとしても実力が伴わないと却って力士生命を縮めてしまう
ことになりはしないでしょうか。それにしてもモンゴル勢の壁
の厚さは、ため息が出そうですねえ。でも大関の体たらくが印
象的でした。最後まで優勝争いをした稀勢の里は別にして照ノ
富士は千秋楽でやっと角番を脱出。久しぶりに和製力士の優勝

で日本中を沸き上がらせた琴奨菊は場所半ばで大関の特権を行
使して愛妻の待つ東京にとんぼ返りしてしまい豪栄道に至って
はモンゴル勢と対戦するまえから戦意を喪失してしまう状態。
辛うじて若手の正代や敢闘賞を受賞にた相撲巧者、宝富士が同
じ伊勢ヶ濱部屋で休場中の兄弟子安美錦とメール交信をしなが
ら土俵を盛り上げていました。今場所とくに際立つたのは立ち

会いの不味さでしたね、白鵬が”ちゃんと立ったのに、何度や
らせるんだ”と怒っていましたが立ち会いは相撲の醍醐味。何
度目も、やれば気の抜けたビールみたいになって相撲離れがで
るんじゃないでしょうか。今の和製の相撲取りに足りないのは
ガッツですよ。モンゴル勢の張り手やヒジ打ちを批判する親方
がいますが、そんなヤワな弟子の泣き言なんか笑い飛ばして、

やられたらやりかえすぐらいの強い気持ちで立ち向かってほし
いものですな。ねえ井村ヘッドコーチ。あたしゃ、びっくりし
たんですが、日馬富士が優勝を決めた一番、よろけながら崩れ
るように倒れてしまったじゃないですか。インタビューで”頭
の先からつま先まで満身創痍だった”と告白していましたが満
足に戦えない状態で全神経を逆立てて難敵、白鵬を破った日馬
富士の戦闘力はあっぱれのひと言につきますな。ねえ井上監督

  和製の大関 もう引退だなんて言わないでください
     五輪選手の爪の垢 頒布促進協議会 ぐっさんハイ
あっという間の17日間でしたね。ブラジル時間に付き合って
寝不足になってしまいました。でも”勇気をもらった”とか、
”元気になった”などと軽々しく口にできないほど参加選手は
死闘を繰り広げました。マスコミは史上最多のメダル獲得だっ
たと、はしゃいでいますが選手たちは4年に一度の祭典に命を
賭けテレビみている私に無言の勇気や元気を与えてくれました
政治屋とか評論屋が手柄話みたいなコメントは無用です。日本

チームの先陣として大舞台にたった水泳の萩野・瀬戸でメダル
ラッシュの弾みをつけ、体操ニッポンを復活させた内村チーム
も見事でした。もう前半戦で死力を使い果たし後半の戦いで跳
馬の白井選手が大舞台ではじめて跳んでメダルを獲った豪胆な
演技には驚かされました。体力、気力の勝負だったんですね。
6階級すべてでメダルを獲得した日本柔道の井上康生監督は、
あふれ出る涙を拭きながら”ロンドン大会では慙愧の涙でした

しかし今大会は最高のメンバーに恵まれ、幸せの涙でこれ以上
の言葉はありません”と言葉を詰まられていました。日本柔道
の復活に国の内外のあらゆる格闘技を獲り入れながら、体力と
腕力で押しまくる外国の選手に立ち向かう戦法をとりいれて、
とかく精神論になり勝ちな育成法を理論的、科学的な戦法をと
り入れた手法が開花した大会でした。マスコミには勝って当然
のように報道された女子レスリングの監督だって見事でした。

はじめて出場して金メダルを獲った選手が監督をマットに投げ
て喜びを全身で現したパフォーマンスが印象に残りました。あ
の数秒で奇跡の逆転劇を連続で果たした裏にはすざましい特訓
の日々であったと思いました。全力で戦った吉田選手は大罪を
犯したように”すみません、申し訳ありません”と泣き崩れて
いましたが、閉会式ではアスリートらしく笑顔をみせホッとさ
せてくれました。閉会式といえば東京の真裏に当たるリオに向

かって穴を開け、登場した人物が安倍首相で、そのサプライズ
に会場は歓声があがっていました。オリンピック旗がダンディ
イな伊達男のリオの市長から”日本の勝負の服を着る”と宣言
していた小池都知事は銀座のマダムような艶やかな和服で登場
大観衆の熱気に押されたのか控えめな流し目で五輪旗を受け取
っていました。早速、ジパングでは”安倍首相の続投か”など
俗世の臭いが立ち込めてきましたが、感動のドラマをみたあと
だけに嫌な気持ちにさせられました。

 何でもありと思わせた東京五輪の予告。小池都知事はこれ
 から、どう着地させるか、あたしゃハラハラしな がら見
 守っています 小池ファンクラブ博多支部 ぐっさんハイ