はじめて集中治療室に連れて行かれた部屋のなかにはハリネズミのよう
に各所に検診のコードが張り巡らされた患者ばかりがベッドに横たわっ
ていました。私は一番奥の部屋に運び込めれ、着の身着のままの状態で
検診用のコードを装着させられました。すると頭上のモニターに波形と
数値が現れました。私の心拍数と振幅だと看護師が教えてくれました。
見た目には43、4の私のスローな脈拍に回復しています。しばらくす
ると診察のとき穴のあくほど私を見詰めていた医師が現れて”さきほど
診たときは30台で、振幅も通常の1秒間隔が4秒近くになっていまし
た。この状態が長く続くと脳に酸素や栄養素が不足することになり振幅
が10秒にもなれば酸欠状態になって気を失ってしまいます。つまり、
おさらば状態になると教えられました。しかし私はモニター画面を指差
しながら”ダンスや水泳でもやっていた心拍数に戻りましたよ”。と普
通のペースに戻ったことを強調しました。そうして”この状態が続くよ
うでした一旦帰宅させてください”とお願いしました。C調な私のよう
に心臓もC調になりました。気のせいか全身に温かい血液が巡回してい
るようです。”こりゃいい、1泊のお泊りで帰れるぞ!”とひとりで悦
になっていましたら、ひとりで憂さを抱え込んだような顔をしたような
かみさんが駆け込んできましたので上ずった声で”心配せんでよか、今
晩ひと晩寝たら帰れるけん、心配せんでよか”とその後の経緯を話しま
したが、かみさんは上の空でした。上の空のまま下着に替えさせられて
抵抗虚しく患者になってしまいました。昼食はこの騒ぎでとれませんで
したが持参してくれた、おにぎりがうまかったですなあ。追い立てるよ
うに、かみさんを帰しましたが厄介なのはトイレです。イチイチ看護師
さんの助けを借りて車椅子で連れて行ってもらうんですから遠慮なくと
いわれれも気取り屋の私は我慢し過ぎてパンツを汚してしまいました。
集中治療室は一般病室と違って機材のなかで寝るようなものですから器
具のノイズが絶え間なく聞こえてきます。それでもいつの間にか寝入っ
てしまいました。窓がありませんから時間の動きがわかりません。朝に
なったのか、ふたりの看護師が飛び込んできました。
周囲が複雑な器具に囲まれて窓もなく、不安と恐怖を倍増
させるには十分な集中治療室でした。 ぐっさんハイ
2月22日は血液腫瘍の定期検診日でした。いつものように何度か注射
針を刺された血液の検査の結果は”順調に推移しています”という診断
のあと”なにか変わったことはありませんか”と訊かれ”そういえば、
昨夜は先生に会えるためか胸に圧迫感があって2回ほど目が覚めて深呼
吸したら元に戻りました。それから病院に来る前に現役のひとに負けま
いと急ぎ足で歩いていましたら動悸がして、また深呼吸をして病院に向
かいました”と冗談を言いましたら脈をとりながら”かなり脈が遅いで
す。今から心電図をとってみましょう”と中断して心臓内科に行きまし
た。驚いたことに心拍数が30台に低下していました。すぐ専門医の問
診となり、あれこれ聞かれ、検診の前日は社交ダンスでステップを踏ん
で2時間後、今度はいつものように25mを20回休みなしで泳いだこ
とを口にしましたらあり得ないという顔をしながら穴のあくほと私を見
詰めながら、”たまたまでしょ”と言われたのでムッとして”いえ毎日
です”と応えましたがそれを無視するようにどこかへ電話していました
そうして”緊急入院です、車椅子で病棟に行ってください、しばらく外
で待ってください”と言われましたが突然のことで他人事みたいに聞こ
えました。たくさん待機している外来患者の目の前の座席に座っていま
したら数時間後、車椅子を押した看護師が現れて”案内する病室を準備
しています、家族の方に入院する準備をして来るように伝えてください”
と言って立ち去りました。まるで頭をこん棒で殴られたような衝動の中
茫然自失という表現がぴったりの状態が続きました。あまりのショック
に外来患者が居なくなったこともわかりませんでした。長い時間が過ぎ
ました。我に返り、かみさんに持たされたスマホで状況を説明しました
ら、驚いていたかみさんは最初はホラ話と思っていましたが泣きそうな
声に本物だと思い直し”すぐそっちへ行くから”と言って電話が切れて
しまいました。誰もいなくなった診断室から不安と恐怖のなか車椅子に
乗せられながら厳重なドアを走り抜けてCCU集中治療室に到着しまし
た。そこにはハリネズミ状態の患者が何人か収容され私はその一番奥の
部屋に収容されました。
生まれてはじめて集中治療室に連行されましたがいくつもの
計測器を着装させられた患者の仲間になった、ぐっさんハイ
大相撲初場所は稀勢の里が初優勝で見事に横綱の栄冠を掴み取りました
普段はあまり大相撲に関心のない人も19年ぶりの日本人横綱の誕生に賛
辞の声が日本中を駆け巡っていました。マスコミもありったけの誉め言
葉を散りばめて褒めまくっていました。火事場のクソ力と陰口を叩かれ
ながら天皇杯と美人妻を手にした琴奨菊は何度目か忘れるぐらい大関の
ポストを出たり入ったり、豪栄道も初優勝したものの初場所は8勝とま
りでフツーのお相撲さんになってしまいました。そこへいくと、稀勢の
里は満を持しての優勝ですから(ちょっと、そんなに持ち上げると先輩
大関みたいになるわよ、優勝したといっても豪栄道、日馬富士、鶴竜と
の対戦がなかったでしょ、春場所をみてみないとわからないよ)、そん
な陰口を叩くから嫌われるぞ。まあ、稀勢の里関も散々、目のまえでイ
イ目にあっているところを見ているでしょうから、先輩大関のように簡
単には只のひとにはならないさ。つぎの場所は対戦できなかった先輩横
綱を撃破して堂々と和製横綱の意地を示してくれるだろうよ(ちょっと
そんなにプレッシャーをかけないでよ)。さて稀勢の里賛辞の声に隠れ
ていましたが古参力士の活躍が光りましたね。37歳の豪 風が東5枚目
の激戦ポストで10勝をあげましたよ。毎場所、目の周りがパンダのよう
に黒く血がにじむような激闘を繰り返しながら勝ち越した嘉風も見事で
した。一方、若手の御嶽海も日の出の勢いを絵に描いたような戦いぶり
でした。気の弱さは角界一といわれた正代も三役の地位を確保しました
気の弱さではないと思いますが角界一のイケメン力士の遠藤は7勝7敗の
土壇場でまたもや勝ち越しのチャンスを逃がしてしまいましたね。相撲
巧者で味のある関取だった安美錦が10両7枚目で5勝10敗とつぎの
場所は引退を賭けた戦いになってしまいました。まさに大相撲の世界は
過去の栄誉とか実績は無縁の職場なんですねえ。そういえば、モンゴル
出身で先駆者のひとりだった元小結・時天空(間垣親方)が高倉健さん
と同じ「悪性リンパ腫」で37歳の若さで、ご早世されたという悲報が
ありました。私もいつ襟首を掴まれるか、びくびくしながら生きていま
す。そんなことより稀勢の里関頼みますよ。
映画は国境を越え言葉を越えて、『生きる悲しみ』を希望や勇気に
変えることができる力を秘めている 高倉健 代読 ぐっさんハイ
追伸:明日の出前は休刊させていただきます。