幸い青年は容態が落ち着き人造心臓手術が早まったという朗報を耳にし
ました。私はシャバに出る前、検査三昧に明け暮れました。申し遅れま
したが私は通常の脈拍は44、5とかなり遅いんです。で、今回の補助
エンジンは60回で設定されました。私はまったくペースメーカーには無
知で60回に設定されてしまったら水泳など過激な運動のときに対応でき
ないのではと思っていたのですが、そんなときは自前の心臓が動きに対
応するんだそうで文字通り補助エンジンなんだそうです。退院を控えた
前日、スーツ姿のイケメンが現れて”I先生からの指示で今からペース
メーカーの調整をさせていただきます”と言ってベッドに寝かされて、
PCのような器具から伸びた管を私のペースメーカーに当てながらピア
ノタッチで操作して”少し胸が苦しくなります”と口にしましたら心拍
数が少なくなって苦しくなりました。つぎは”これは如何ですか”と言
いますから”なんともありません”と応えましたら、しばらくして担当
医が現れて”この状態で院内を歩いてみてください”と言って解放され
ましたので連行された集中治療室を覗いたり、思い切って小走りに動き
はじめました。すると鼓動がとまらなくなって息苦しくなってきました
いつも外来のときに計測する血圧計に計ったら150の血圧で心拍数が
75もあるんです。私はそのデータを手に病室に戻りましたらペースメ
ーカーが点火するポイントを上下で作動させたことで過敏な反応現象が
出て、また調整されました。たかがペースメーカーといえどもシャバに
出て変調をきたしたらお陀仏になるんですからね。最適なコンディショ
ンを探し出す作業が何度もあるんです。非常にデリケートなマシーンで
あることが知らされたヒトコマではありました。いろいろありましたが
幸い順調な経緯で手術して7日目に退院となりました。外科手術はアッ
という間に退院となり、午後にはプールに行って、さすがに泳ぐ勇気は
ありませんでしたが心地よく水中ウォークをやって帰宅し、往き帰りは
自転車でしたので疲れました。しかし病気を治す館から元気印の中に身
を置くだけで心身がしゃんとするんです。病は気からという言葉が、ど
んぴしゃりという感じでした。
最近のペースメーカーは磁気にも対応されてバッテリー交換も
7年~10年と長持ちするんだそうです。バッテリーの取り換え
のときは、、、それは聞きませんでした。 ぐっさんハイ
さて、病室のなかに戻りましょう。隣の青年は荒々しいのは態度だけで
はありません。呼吸も荒いんです。声をかけるタイミングを失った私は
カーテン越しに様子を窺いました。すると看護師が飛んできて”大丈夫
ですか!”といいながら備え付けの器具を青年の顔に押し付けています
そのときはわかりませんでしたが呼吸が苦しくなったら酸素吸入器を着
装していました。プライバシー問題もあって青年のことを看護師に訊ね
るわけにはいきません。体調が良くなると、またどこかへ出かけます。
そのうち調子が良くても自分のベッドにいることがありました。その代
り病院で知り合った仲間が大勢押しかけるようになりました。たわいな
い話が延々と続きます。聞きたくもない話が続きます。いい加減にして
くれと言いたくなります。不思議とそんな長話のときには発作が起こり
ません。ところが出かけたときに限ってゼイゼイいいながら息を切らせ
て帰ってきて看護師の世話になっています。正直いって、ざまあみろと
言いたくなります。私は体調が戻ってきますと散歩に出かけるようにな
りました。病室に戻った時です。笠智 衆のように背筋が真っすぐな、
ご老体が青年の横に座っていました。そこで古典的な小言を聞くことに
なりました。”お前は何度じいちゃんを心配させるんだ。この年まで心
配させていい加減にせんか、、ヨカヨカじいちゃんがついとるけん心配
せんで頑張れ”。昨今、物わかりのいい当たり障りのない言動が横行す
るなか、ストレートに心情を口にして心から孫を心配する姿に久しぶり
に肉親の温かさを感じました。その間、青年は、ひと言も発することは
ありませんでした。母親らしいひとに抱かれるようにして帰っていきま
した。私は一般人になりましたが青年は発作を起こすと悶絶します。そ
んな姿に”頑張って”などと安っぽい言葉をかけられず遠目に見守って
いたある日、青年と話をする機会があり幼いころから自前の心臓もあて
にならなくなり人造の心臓の手術を控えていることなどを知らされまし
た。私は”ごめんな、俺はすぐ出ていける、でも君は苦しんでいる”、
すると青年は”よかったですね、いいんです。僕も元気になりますから
”と素直な答えが返ってきました。
鹿児島から来たこと、おじいちゃん子で年は23歳、何度かペース
メーカーを取り換えながら今日まで頑張ってきたことなどを話して
くれている最中に発作が起こり顔面が蒼白、体をエビのように曲げ
ながら苦悶する姿に仰天してナースコールを押し看護師が飛んでき
ました。大勢、医師も駆けつけて集中治療室に運ばれていきました。
命の厳しさを目撃した ぐっさんハイ
さて手術の当日を迎えました。朝方”なんとか午後イチで出来そうです
”と担当医が駆け込んできて言いました。不思議なもので、血液のガン
の治療のときのような切迫感がありません。第一、体調は元に戻り痛み
や苦しさを感じません。それに前日の説明を受けたときにも命に別条は
なく補助エンジンを心臓の上に付けるだけ手術であると聞いたこともあ
って、前回の生死が半々という悲壮感というか緊迫した空気でないこと
も私を安心させ病棟でもなんとなく、のんびりした空気に包まれていま
した。ベテランらしい看護師が現れて”術後はしばらくトイレに行けま
せん。尿道に管を通して自動的に排尿することになります”と口上した
かと思ったらいきなりオチ0チンをむんずと掴んだかで管をうなだれ縮
こまったオチ0チンに差し込むじゃありませんか。ああも、すうもない
早業でした。まるでウナギを串刺しするような感じでした。すると自分
の意思とは関係なく、おしっこが出てきました。このように着々と準備
が整ってまいります。すると、また担当医が駆け込んできて”少し遅れ
そうです”といって姿を消しました。1時間遅れで手術用のベッドに乗
せられて病室を出発。かみさんは手術室の手前で手を強く握って私だけ
が開かずのドアを通って大きなライトの下に着きました。エンジ色のユ
ニフォームの看護師が名乗りながらスマイルを投げかけてくれました。
担当医が”リラックスする薬を投与します”といってなにやら注射され
ましたら眠気とともに気持ち良くなってきました。そのうち焼け火箸が
胸に押し付けられるような、なにやら引っ張られるような激痛が襲った
かと思いましたら意識がなくなってしまいました。担当医の”終わりま
したよ”という声で目が覚めて看護師の”お疲れさまでした”というス
マイルにホッとして我に返りました。ドアが開きましたら、かみさんが
立っていました。また手を握ってくれました。前回は抗がん剤を病室で
投与するという治療でしたから、外科手術のようなメリハリがありませ
んでしたが今回はテレビドラマのようなシーンを味わいました。病棟の
ベッドに移ってペースメーカーを装着した左腕を固定して”左手は使わ
ないようにしてください”と言われました。
普段は何気なく使っている左手が急に使えないとなると不自由
ですねえ。翌日、オチ0チンから管を抜かれ格別の開放感を、
味わうことができました。 ぐっさんハイ