結局、浅丘と石坂は倉本が伴走する形で浅丘の両親の了解を得て結婚した。ではそのくだりから二人のおしゃべりに耳を傾けてみましょう。浅丘:その後、倉本さんが、脚本を務めた番組で共演して、わあ、なんて物知りなのって。天体のことから美術のことから、いろんな分野で博学で。私は中学2年のときにこの世界に入ったから何にも知らないわけですよ。こういう人と一緒にいたら勉強になるなあと思っていたら、あちらのほうから私のほうに寄ってきて。阿川:おっ。仕事
仲間以上に。じゃあ、倉本さんは浅丘さんと石坂さんの馴れ初めもよくご存じだったんですね。浅丘:だから「やすらぎの郷」のセリフにも”これ私たちが言ってたり、やったりしたことだ”ってところがたくさんあって台本を読みながら大笑いをしてました。阿川:あははは、思い出話をしながらドラマをやってるみたい。でもホント失礼な話ですが大物カップルの組み合わせで果たして上手くいくのかという声も多かったと思いますけど。浅丘:それが30年弱も続きましたか
らね。当時、私は石原プロに所属してたんですけど後で
聞いたらスタッフたちが離婚するかどうかで賭けをしてたらしいの。1年経っても2年経っても別れないから”俺たちどうなるんだよ”とか言ってたみたい(笑い)。阿川:30年後にお別れになったときも険悪な場面はまったくなかったとか。浅丘:離婚するときの記者会見までにも二人で冗談を言って笑い転げていました。阿川:確か、そのとき石坂さんは親の介護を女優である浅丘さんにさせるわけにはいかないとおっ
しゃって。浅丘:まあ確かに介護はできないし付き合っている人もわかっていましたけどね。阿川:ご存知でしたか。悔しいとか嫉妬心はなかったのですか?浅丘:なかったというより悔しい気持ちがなくなるくらい、ず~と私のことを見てくれましたからね。阿川:その後お会いになったことは。浅丘:全然。市川 崑さんのお葬式で見かけたぐらいで。で、「やすらぎの郷」の顔合わせで久しぶりに会ったんだけど皆さんの視線の痛いこと(爆笑)。阿川:アッ撮影の途中で、
野際さんがお亡くなりになって、、。病状についてご存知だったのですか?浅丘:全然。私たちとやってるときは、全くそういう気配は見せなかった。でもワンシーンを撮るたびに控室に行って酸素吸入みたいなのをされてたみたい。それである日、”野際さんは来られなくなりました”という話に
なり。阿川:まだ出番が一杯あったんですか?浅丘:まだ沢山ありました。だから野際さんのセリフをマリリンが言うように倉本さんが直したりとか。阿川:みんなでカバーして」。高齢化は芸能界にも容赦なく訪れるんですね。
寝て練った良い句だったが朝忘れ 久保 静雄(男/埼玉
県/73歳/無職) 代読 ぐっさんハイ