その後、履歴書を持って6、7社ぐらい回ったが住所不定で保証人も、
いない。折角、有名大学を卒業しても職は見つからない。食べるにも
困る状況に追い込まれた。友人の家を転々としたが迷惑がられた。再
び解雇された広告会社の所長の元に駆け込み”何でもするから置いて
ほしい”と懇願した。集金やバスのステッカー貼りなどを担当した。相変
わらず営業はさっぱり。やることがないので映画館に行ったりパチンコ
屋に入り浸り時間をつぶすのが大変だった。結局”君は成長しないな”
と云われ半年で再びクビお払い箱になった。それで札幌の街をぶらぶら
していたら父の弟で似鳥コンクリート工業の専務とバッタリ会った。”だら
しない生活をいつまでやっているんだ、仕事がないなら手伝え”と云われ
そのまま会社に戻った。仕事をするのはいいが家に帰るのは億劫だ。1
年ぶりに家に戻ると父は珍しく酒を飲んでいた。”家出して申し訳ない、
これから旭川で仕事に行きます”と伝えると”何しに帰ってきた!”と一升
瓶が飛んできた。ベランダのガラスが粉々に砕け慌てて叔父とともに、
逃げ出した。本当は嬉しかったのかもしれないが相変わらずだ。旭川で
は監督を務め測量などの仕事を覚えた。監督になったのはいいが現場
の作業員をまとめるのが大変だった。そのリーダー格は体中に刺青を彫
り100キロはある巨漢だった。昼間っから酒を飲み面倒な仕事はしない
作業員の間に不満が生まれた。そこでリーダーに”みんなと同じように、
仕事をしてくれないか”と頼んだ。すると”文句があるんなら部下を引き揚
げるぞ”と脅す。どうしたらいうことを聞いてくれるのか”と聞くと”力比べ
相撲、花札、酒に全部勝ったらな”という。花札、酒なら勝てるかもしれな
いが相撲は得意だが相手が大きい。まず花札は勝った。力比べは7、8
0キロの石を何歩歩けるかという競争だ。石を運ぶのは米の配達で慣れ
ており勝利。そして相撲だ。体重は65キロしかないが奇跡的に勝てた。
つぎの酒飲み競争、こちらは勝負がつかずに引き分けた。すると親分は
”大学出の割にはやるじゃないか”といい、和解できた。チームはまとまり
仕事のスピードはどこよりも速く利益率も郡を抜いた。仕事が順調だった
つかの間、作業員宿舎が火の不始末で全焼してしまった。私は責任をと
って辞めることになった。札幌の家に戻ると父は”毎年赤字続きだしこれ
以上続けても将来性はない。自分の道を考えろ”という。人生は振り出し
に戻った。丁度、会社の所有する40坪の土地と建物があった。この建物
で何か商売でもやろうと決めた。周辺を探すと家具屋を見かけない。食べ
ていくため生業として家具販売を選んだ。しかし同業の知り合いもいない
し問屋も知らない。手当たり次第、家具の問屋を回ったが相手にされな
かった。
行き当たりばったりの人生。私も同じ。夢や希望とは全く
無縁。学校から受験しろと言われて、はいった電気屋の
世界。 お袋のケツにくっついて入門した ぐっさんハイ