店は満席でした。海鮮料理屋のVIP席でひさしぶりに舌ずつみを打ちな
がら昔話に話が弾みました。家族ぐるみでアチコチ遊びに行ったこと、
擦り切れたエロ雑誌を回し読みしたこと、日本に出張してコメや日本食
を分けあったこと、電気屋の私がビデオテープを出前して、それが楽し
みだったことなど走馬灯のように話が弾みました。すると戦友は”ぐっさ
ん今日は私もトコトン飲みます”と宣言して地ビールをあおりながら、儲
けて自前の倉庫付きの社屋を立て直すときに運命的な出会いがあった
こと、その物件が契機となってエッチ社の系列工場などを矢継ぎ早に
仕事がとれ、売れっ子になったことなどお互いに天国時代の話が延々
と続きました。その後、私が東南アジアの通貨危機でクビになったこと
あたりから急に彼は黙り込んでしまいました。すると突然”ぐっさんでも
あなたはその後も活躍の場はあったんでしょう”と私のぼやきを遮りま
した。”私はぐっさんが帰国して間もなくでした。私は東南アジアでもトッ
プの成績をあげていました。でも会社は国内で大きな物件の赤字が続
いて倒産してしまったんです。現地では十分やっていけたのに本社が、
企業破綻になってしまいました。私には残務処理があり事業本部長のポ
ストで残ってくれという話がありました。家内もぜひその話を受けろといい
ました。でも苦楽を共にした仲間を裏切って自分だけが会社に残ること
は自分にはできませんでした。(涙目になりながら)人生の節目でもある
55歳のときでした。そうして私もみんなと一緒に会社を辞めました。私は
東南アジアが大好きで、天職と巡り会えた思いで寝食を忘れて仕事に、
打ち込みました。でも一夜にしてその職場と仲間を奪われました。私は
家族を食わせなければなりません。頭を下げて日系のゼネコンに仕官
の道を必死で探しました。でも当時の東南アジアは通貨危機という暴風
雨の最中で、どこも雇ってくれるところはありません。そんなとき私に手
を差し伸べてくれたのは一緒に働いていた下請けのローカルでした。小
さな会社で大したことはできないがといいながらも臨時で使ってくれました
そのときの嬉しさは忘れられません。まだなにかやれる、やり残したこと
があると自問自答しながら偶然、とあるレストランで以前、日系の企業
の物件で縁ができた方と偶然出会い、今の境遇を話しましたら”それは
勿体ない、あなたの能力が発揮できていない”といつもの慰めの言葉だ
と聞き流していましたら突然、電話をいただき”ウチで増築の話が出て
いる、まだ検討中だが、もし実施するということになれば相談に乗って、
くれ”という話で施主の相談相手つまりオーナーのお目付役としてお願
いしたい”という願ってもない話だったんです。声をかけてくれた主はも
う現地を卒業して本社に凱旋した方だったんです。
これも骨身を惜しまずローカルとも分け隔てなく付き合う彼の姿勢
が人生最大のピンチを救ってくれたんですねえ。異国で組織が一夜
にして霧散した戦友の秘話はまだ続きがありました。 ぐっさんハイ