激辛の情熱家・井村先生と井村女史と同じように中国に乞われて海を
渡ったったサッカー元日本代表の岡田サッカー監督の鬱憤話を傍受し
ましたので出前いたします。ご両者とも大阪の荒れた学校の同窓生とい
うか縁があったということから意気投合した立ち話になりました。井村さ
んが教師時代、生徒が授業中にシンナーを吸って出歩くのは当たり前
私は頭に来て教科書を叩きつけて怒ったことがあります。”横に落ちて
いるガムのカスを全部拾え!”って叱りつけて床を掃除させて。岡田:

すごい、それが井村さんの指導者としての原点ですね。井村:そうです
目的意識のない子に生きる目的を持たせるのに比べたら、シンクロの
指導のほうがずっと楽ですよ。彼女たちは五輪でメタルをとりたいとい
う明確な目的を持っていたわけですから。岡田:監督に限らず政治家で
も経営者でも、指導者ってそういう強烈な経験が必要なのかもしれませ
ん。そのことにより覚悟ができるというか。腹をくくれますからね。という
両者の息のあった話から中国での奮戦記と相成りました。井村さんは

当時の世界でせいぜい6、7位の実力。”北京五輪でメダルを獲らせて
ほしい”といわれましたが、そんな簡単なことじゃない。でも日本の指導
者が海外で認められれば日本のシンクロが認められることになります。
もし断ればロシアに頼むでしょう。そうしたら、ますます手足の長いロシ
ア流のシンクロが主流になってしまいスピードと同調性が特徴の日本流
はマイナーになってしまう。それで中国に飛び込む決心をしました。で、
岡田監督もなにか新しいことにチャレンジしたかった。そんなとき中国の

クラブからオファーがあって、直感で”これは面白い、行こう”と思った
そうです。おふたりとも売国奴、敵に塩を送る輩などと国内では非難轟
々だったそうですよ。シンクロに対する考え方や取り組み方が違ったり
井村流をしても、なんども(日本に)帰ると思ったそうです。そのへんは
過日、出前でお届けしていますので今日は異なったところをお伝えする
ことに致しましょう。一番驚いたのはチームでの適材適所の視点で選抜
しようとすると、省単位で選べと贈り物付きでいわれ往生したそうですよ

キレそうになった井村女史は、いえキレて日本に帰ったこともあったそう
ですよ。”ロンドンで銀メタルを獲って解団式のときに、たまたまその前日
が誕生日だったんで、選手たちが、パーティーを開いてくれたんです。誕
生カードにきれいな日本語で誕生日おめでとうございます、と書いてあっ
たの。それをみて私も中国語で初めて手紙を書いた1時間半かけて(笑
い)。岡田監督もオーナーとの固執でなんどか帰ろうと思ったそうですが
持ち前の執念で岡田サッカーを中国に植え付けて凱旋したそうです。
 

 内緒話: 井村:W杯の日本代表の成績はあんなもんですか岡田:
  もう少し勝てる力は持っていた。ところがメディアに煽られて勘違い
 してしまった。壮行会はジャニーズ事務所のコンサートのように華や
 かで選手たちは口々に”自分たちのサッカーを”と言い続けていたけ
 れど国の代表としてプライドを賭けて戦うという一番大切なことを忘れ
 ていた。井村:私は選手たちに”日の丸を背負う覚悟をみせろ”と言っ
 ているんです選手がよく”練習のように出来た”と言うじゃないですか。
 アホかと思う。頑張っている自分に満足しているようじゃダメ。日本人
 はあまりにも仲良しグループが多すぎる!。参りました ぐっさんハイ