今頃は「47人の刺客」で監督だった市川 崑さんが”タバコはやめた
ほうがいいですよ”といわれ煙にむせた顔をしながら”こっちの世界は
病気とは無縁だよ”といいながら三船敏郎や志村 喬それに大滝秀治
などの名優と映画づくりに花が咲いているんじゃないでしょうか。健さん
は。さて、その健さんは”食うため、女のため映画の世界にはいった”と
大スターになっても口にしていましたが健さんだけでなく我々の時代は
学校を卒業して就職をする。そうして自分の希望や夢を実現するため
に会社を選ぶなんていう悠長な時代じゃありませんでした。学校から成
績順に”ここを受けろ”といわれて有無をいわずに受験して通ったらアト
づけで、これから世話になる会社に運命を託したものです。それに当時
は終身雇用が当たり前の時代でした。ですから、まず世話になる先輩や
同僚には気を遣いました。だって首になるなと親から耳にタコができる
ほどいわれていましたし、どんな理由があったにしても会社を辞めるとい
うことは世間ではダメ人間と思われた時代でした。もちろんヘマをせず
大過なく勤めていたら定期的に昇給し、ボーナスもいただける右肩上が
りの時代でした。給料も滞ることもなくいただけた結構な時代でした。そう
して人間的に賢さや狡さを装備して会社の人間関係とか組織を使って、
その中で自分が行きたいところや、やってみたいことをアピールしながら
各地を転々として、私は復帰まえの沖縄を手始めに東南アジアまで流れ
ていった経歴の持ち主なんです。まわりくどい言い方になってしまいました
が当節、猫も杓子も”夢だ、希望だ”。と流行みたいに口にしていますが
我々の時代のように、まず、どこかに仕官して世の中のなんたるかを習
得して、その会社の組織を使って自分の夢や希望を果たしていくってえ
のもありじゃないでしょうか。老兵が現役のころは集団で群れるというか
目の前でヘマをしたり、イイことをするひとを直視することで、我がふりを
軌道修正することができました。まだ経験が未熟なうちに集団を離れて
独立独歩で自分の夢を果たすのは至難の技ではないかと思うんです。
やっぱ、どこかのチームの中でひとの形振りをみながら競争状態中で
鍛えていくというのも選択肢のひとつだと思うんだけど、どうだろう。それ
から自分の考えたチームと遭遇しなかったと手を抜くというか、ただのマ
ニアル人間になってしまうのも勿体ないと思うんだ。たとえその職場が意
味がないと思えても手抜きをせず自分の感覚や才能を錆びつかせない
ために、その組織で創意工夫をする、そういう地味な努力が、あなたの
夢を果たせる、なにかと出会ったときに決っと役に立つと思うよ。おじん
は75歳になりますが、それなりに、なのかを見つけて、あたふたしてい
ます。閻魔大王に”もうよか”と襟首を掴まれるまで。
”ふと自分の母親のことを想い出してしまいます”。今も耳の奥に
残る一言は”辛抱ばい”という母のつぶやきです。息子の映画は
欠かさず見ていたのに、とうとう1本も褒めてくれなかった母…。
”あんたが雪の中を転げまわるのは切ない”。と手紙にはいつも、
そう綴ってありました。刀を握り、背中一面に彫り物を背負った、
任侠映画のポスターを見て、”あの子はまた、あかぎれを切らし、
とる”と、踵からわずかにのぞいた肌色の絆創膏を見つけたの
は世界中でたったひとり、母だけでした。それなりの収入を得ら
れるようになって、兄に贈った腕時計。家に帰ったときに値段を
聞かれ”150万円くらいかなぁ…”と答えると、母は不機嫌そうに
ポツリと言いました。”あんたは増長しとる”。
雪のシーンがとっても似合う巨星でした ぐっさんハイ