玄関がピンポンと音がしました。誰だろうと思っで覗きましたら痩せて悲
しげなおばさんが立っていました。”どんな用件でしょうか”と訊ねました
ら”あなたに幸せを届けにまいりました”といいました。あたしゃ”幸せな
ら間に合っています”といいましたら”そういわずにしばらく私の話を聞い
てください”といいますから”今、手が外せないんです”と返事しましたら
”それでは本だけでも受け取ってください”と粘ります。本を受け取るた
めにはドアを開けなければなりません。でも貧乏神が家にはいってくる
みたいで”要りません”といいましたら”では、郵便受けにいれますので
必ず読んでください”といって1冊の小冊を投げ入れて立ち去りました。
本の中には”今日一日三つの恩をわすれない。他人の悪口をいわず己
の善もいわす、腹も立てず、、そのほかにも、あたしが顔を背けたいよう
なイイことが一杯書いてありました。世の中には奇特なひとがいるんだ
なと思いました。話はコロッとかわりますが1964年10月1日午前6時
に新大阪から満員の乗客を乗せ一路、東京に向かった、「ひかり2号」。
世界最速を誇った東海道新幹線は京都駅を出て琵琶湖のほとり近江
盆地の長い直線に差し掛かったところで速度計の針は一気に上昇し、
営業列車初の200キロ走行に突入。車内では歓喜の声に包まれた。
これは50年前にニッポン列島に新幹線が、デビューしたときのブン屋
の報道でした。それから50年(パンパパンパン!チェッ綾小路かよ)。
125倍の競争率を突破した100人が乗り込んだ第1便は午前11時5
分出発。車内には速度表示版が複数設置され車両が速度を増すごと
に車内では期待感が高まった。時速450キロを過ぎたころから乗客の
目は速度表示版へ。500キロを示すと、歓声とともに拍手がわき起こ
った約30分間の試乗を楽しんだ北海道から試乗した村正博さん(62)
夫婦は”車輪走行から浮上走行に切り替わったのが音と振動で分かっ
た。飛行機みたいな感覚だった”。”トンネル内の蛍光灯が1本の線に
つながっているようで早さを感じた”。東京に25年住み着き、晴れてこ
の試乗会に参加した青い目のおっさんは”めっちゃすごい”と和人顔負
けの日本語を上気した顔で口にしていました。大阪市の亀谷幸司郎さん
(81)は”加速している時速430キロあたりの方が早いなと思った。500
キロになると走行が安定するためか早さをそう感じなかった”と、それぞ
れ高速交通を体験した感想を語っていました。しかしなんですなあ。あた
しもそうですが、なにかに追われているようなそんな余裕のない時代に
なってしまいましたねえ。ひとのお世話で師走を走り回るひと、試乗会で
目を回すひと。そんな風情をひとの迷惑顧みずキーを叩くおっさん。そう
こうしながら来年のカレンダーに向かうんですねえ。
にやっとする話:
遍歴:大女優が長い芸能生活を振り返るインタビューを受けていた。
”今まで一度も結婚はされていませんが心の琴線に触れる方がいらっ
しゃらなかったということです?”。そうね、触れたような触れなかった
ような、、”。女優は遠くを見つめ懐かしんでいる様子だったが、急に
早口でしゃべりはじめた。”でもね、身体に触れてきた男は一杯いた
わよ!監督、俳優、若いのからジジイまで。顔も形も大きさ、いろいろ
だったわねえ”。 世間の眺め続けて7O数年 ぐっさんハイ