この方も深夜便に登場されたんです。すこし甲高い声で歯切れのいい話
方に司会者が”現在92歳で現役最高齢のプロパイロットです”と紹介が
あり、一辺に眠気が吹き飛びました。お名前が高橋淳さん。小さいころか
ら飛行機が大好きで大きくなったら飛行機に乗りたいという想いで18歳
で予科練に入隊。海軍航空隊で徹底的に訓練を受け激戦の南方戦線を
転戦、劣勢の戦況でも高橋さんは戦い続け奇跡的に生き残られた歴戦
の勇士でもあります。では早速、対談の模様を出前することにいたしま
しょう。Q:高橋さんは、いつごろから飛行機に乗ろうって思っていたので
すかA:小学生のころから飛行機に乗りたいと思っていましたね。3年の
ときからグライダーに乗って空の虜になってしまいました。Q: まだ飛行機
もあまりなかった時代ですね。A: そうね。でも将来は飛行機乗り以外に
は考えられなかったです。それで飛行兵を養成する予科練という制度が
あるのを知って、すぐに応募しました。太平洋戦争が始まるちょっと前で
した。 Q:夢はかなったわけですがすぐに戦争になってしまったんですね
A: 2ヶ月後には真珠湾攻撃があって太平洋戦争が始まってしまって訓
練もそこそこに戦地へ行かされました。ぼくが乗った飛行機は大型の双
発機でした。大型なので敵の標的になって消耗が激しくてスピードも遅い
し、あれに乗っていた人で生きているのは少ないんじゃないかな。最初は
40機くらいいたけど終戦の前の年にはほんの2~3機でしたからね。
それから内地へ帰ってきて教官をやって、米軍が沖縄へ上陸しましたか
ら鹿児島の出水から沖縄攻撃へ飛んで行ったりね。終戦間際では、この
タイプの飛行機だと残っていたのは、ぼくのだけだったですよ。それから
北海道へ移れということになって終戦になりました。23歳のときでした。
Q: よく生きて帰れましたね。 A: 雨のように弾が飛んできましたよ。それ
をかいくぐって敵艦に向けて 魚雷を発射するんです。 Q: かいくぐるって
と言われますけど、そん なことできるんですか。A: 敵は飛行機の前方を
狙って撃ってくるでしょ。だからそのまま飛んでいれば当たってしまいます
だから飛行機を横滑りさせるという技術を使うんです。それで何とかかわ
してきました。それから敵艦に向かうときも、甲板の下を飛んで弾に当た
らないようにして魚雷を落とします。魚雷攻撃は2、3回行ったら帰って来
なかったですよ。10機行けば、帰ってくるのは半分くらいだったな”。最後
に同じ戦闘機に乗ったクルーたちに対して”俺の飛行機に乗せたヤツは
必ず無事 に地上につれて帰る。だからお前たち絶対に遺書なんか書くな
”と励まし続けたそうです。高橋さんは、”ひとは運のいいやつだと、ぼくの
ことをいいます。でもね最大の努力をしてチエを出し工夫をしたから運が
味方したと言えるんです”というお言葉には寝たふりをしてしまいました。
戦後は、日本飛行連盟に参加し、民間操縦士の養成を行う傍ら
赤十字飛行隊隊長として災害時の救助、血液輸送などのボラン
ティアに従事。阪神・淡路大震災、新潟県中越沖地震にも飛行隊
を派遣しました。現在も、日本飛行連盟の顔として、またスーパー
テクニックパイロットの第一人者として多忙な毎日を送っていらっ
しゃるそうです モテモテの会 高橋会長に敬礼! ぐっさんハイ