文藝春秋9月号に朝日新聞の誤報虚偽、捏造騒動まえに、にやっとする
記事がありました。その一部をパクってお届けします。「集団自衛権行使
容認決定の報道には良くも悪くも新聞界の力量と限界がみてとれた。「賛
成派」=産経、読売、日経 「反対派」=東京、朝日、毎日という図構は、
そのまま安倍政権への支持・不支持だろう。特定秘密保護法以来、本欄
読者にはお馴染みだが実はアベノミクスや原発再稼働への賛否とも重な
っている。つまり今や新聞は「安倍シンパ」か「アンチ安倍」かで国政問題

の報じ方が違ってくる。では日本の新聞もいよいよ政治的立場を鮮明に
するオピニオン紙にかわったのかその点では別の分類ができる。「主張
型」=東京、朝日、産経 「客観型」=読売、日経、毎日 両陣営とも確信
の強い新聞は主張を全面に出し、確信的でない新聞は決定した客観的
事実として伝えた。まず前者。朝日=「『強兵』への道 許されない」「危険
はらむ軍事優先」「捻じ曲げられた憲法解釈」「倫理の暴走 戦前と同じだ
」「抑止力逆に低下する恐れ」「この暴挙を超えて」産経=「『積極的平和』

への大転換」「今後50年、日本は安全だ」「『助け合えぬ国』に決別を」「
行使へ法整備急ピッチ」、産経は7月3日付一面に「『暴挙』と断じる朝日
を感情論見透かされる扇動」という論説を掲げて苛立つが、なに、主張型
と括れば同類だろう。産経はスタイルが個性的で持論に沿った新聞で溜
飲をさげたい読者には、おあつらえ向きだが第三者にはアマチュア的との
不満が拭えない。朝日も連日読んでいると違和感が膨らむ。政党の機関
紙(赤旗?)を連想してしまうのだ。なぜオピニオン報道になりきれないの

か。主張するのに汲々として推進派の倫理と心理、「軍事優先」が進む
歴史的・世界的背景の紹介が足りない。だから産経に「戦後民主主義と
憲法九条へのノスタルジー」とからかわれる。もっと自分の立場と力量に
自信を持ったらいいのに。つぎに客観型。読売=「抑止力向上へ意義深
い『容認』」「首相中国、台頭を警戒」「日米同盟さらに強化」「『出来ない
日本』の変化」 臆面もなく提灯記事に徹して天晴れ。日経=「アジア安定
の見取り図を」「助け合いで安全保障を固める道へ」平凡すぎてなにも言

っていないのも同然。推進派の報道は公平に評価して読みでが薄い。もっ
と濃い報道を望む。食えないのは毎日である。この新聞は本当は賛成な
のか反対なのか。反対のはずだが見出しは常に客観的。つまり、いつも
どこか及び腰である。政治・外交のベテラン記者たちはコラムで「行使容
認賛成」を論じ、コラムを持たない現場記者は「記者の眼」欄でこの行使
容認論に果敢に反論した。が、社論の多様性というより世代や立場で割
れているだけなのではと疑いたくなる。少なくとも朝日に比べ編集幹部の
腹がはっきりしない。読者と侮るなかれ」。如何です。よ~くブン屋の正体
を暴いていると感心しました。然るに最近のブン面の面白くないこと甚だし
いですなあ。
    
    目つきの鋭いひとをはじめ、なんとか第三者委員会の
    センセ方に捧げます   しっかりみてよ ぐっさんハイ