15歳で全日本に選抜、18歳でロス五輪出場。天才の名を欲しいまま
にした日本バレー界不世出のスターはVリーグ初の女性監督になり”名
選手名監督にあらず”の格言を過去のものとした。勝負の怖さを知り抜
く指揮官は「東洋の魔女」のDNAを魂のリレーで繋ぎ6年後を見据える。
とある雑誌にありました。この女性の名前は中田久美(49)。名前の由
来は誕生日(9月3日生まれ)から久美。あたしが今日、久美さんにご、
登場願ったのは彼女は私にとっていいオンナのひとりなんです。92年

隠れ美形?の中田さんはれっきとしたバレー界のスターだったんです。
ところがバルセロナ五輪に日本女子バレー史上初となる3度目の五輪
出場を果たしたものの、試合に負けてしまうだけでなくメダルを逃してし
まう結果となってしまい、あまりの悔しさに号泣しながらバレーコートを去
っていった。そんなことからバレーとすっぱり縁を切るためにセミヌードに
なったことがあるんです。男は腹を切るとか坊主になるというイメージが
一般的ですが女性はスッポンポンになるという手があるんですな。透き

通るようなきめ細かな柔肌、、。触れたことはありませんがカメラから伝
わってくる女の香りはムンムンでしょ。あたしゃ、いろんなひとのヌードを
鑑賞したことがありますが、彼女のそれは際立っていますな、実際の話
が。一度結婚したものの離婚。32歳でファッションモデルに転身。モデル
事務所の女社長は中田の本気度を試すために10日間で5キロ減量する
ことを命じた。中田は難なくクリア。プロ意識の高さに社長も驚いた。この
ときも中田がケラケラ笑いながら言い放った。”1週間で5キロの減量なん

て日の丸背負っていたころを考えたら大したことじゃない”。モデルになっ
ても日の丸を口にするのかと呆れたものである。そんなとき人生の転機と
なったのが父の死であった。玉ねぎのように一枚一枚剥がしていくうちに
金メタルという芯が顔をのぞかせた。引退したときに固く蓋をしたものが
根底にまだ燦然と輝いていたことに自分でも驚いた。指導者になればそ
のチャンスはある。バレー界に復帰すると中田の行動は素早かった。
指導者の勉強をしようと単身イタリアへ渡った。地元の小学校に通いなが

らイタリア語を勉強し2年間のコーチ修行。そんな中田に密かに注目して
いたのが久光の萱島章だった。11年9月、久光製薬のコーチに就任し
翌年7月監督に就任した。中田が監督に就任してからチームががらっと
変わった。目下バレー界で5冠を達成中、”怒涛の変化でした。バレーに
対する取り組み方、練習態度、技術、人生設計までみんなの考え方が、
180度変わった”とは座安選手。また中田本人は”選手を育てるには個
性、性格、癖まで見抜かなければならない。コートに入ったときの顔とプ
ライベートな顔は違う。その両方を理解しないとその選手に適した指導は
できない”と。
   中田監督の言動を 世の教育委員会 児童相談所それに
   ご両親に出前します。あら、脇目も振らずに切手を貼ってい
   る地方議員のセンセ。あなた方だって民の目線で議会は、
   野次らないと  野次にもセンスとユーモアを ぐっさんハイ