山陰の地方町で職を転々とするが高度な飛行機操縦技術を活かす職場
はなかった。52年、GHQ統治支配が終わり紡績会社に職を得てようや
く落ち着いたが53年、盲腸を医師が腸炎と誤診し大手術、入院中に背
中が痛みだし原因不明のまま麻酔をかけず数度の大手術で切開され、
敗血症を併発55年5月12日逝去。享年38であった。元エースは病床
にあっても”元気になったらまた飛行機に乗りたい”と語っていた。 戦後
20年を経て、彼自身の詳細な回想録が世に出るに至り、その驚くべき
戦歴が明らかにされた。彼の上官であった柴田武雄大佐からは”戦闘
機乗りになるために生まれてきたような男”と称えられている。敵機202
機を撃墜した実力派。その愛機にマークされた撃墜数を表す桜のマーク
背中に「天下の浪人 ゼロ戦虎徹」と大書きしたライフジャケット。特攻命
令に対しての堂々たる反駁し丸刈りの命令を拒否して長髪を押し通した
男。戦国の傾き者、「前田慶次郎」を彷彿とさせる男のロマンを満足させ
てくれる男。空前絶後の緊張を強いられるはずの戦闘機を駆って、空中
戦で撃墜した202という数もさることながらひとの限界を超える心の有り
様は世界史にくらべるものがない。岩本徹三さんは”俺の友だちタイと簡
単に口にしえない荘厳さが漂う。 如何でした。多くのひとは”ありゃ運が
よかったとタイ”、”ツキがあったとタイ”と簡単に片付けてしまい勝ちです
が精神論がまかり通った時代に科学的、物質的な視点で物事を見聞き
し、精神論や感情論に流されなかった、旧日本軍では例外的な人物だっ
たんではないでしょうか。老兵が特に感銘をうけたのは「特攻による人的
消耗戦」に敢然と抗議したことです。「永遠の〇」でもそうでしたが、消耗
戦の犠牲になった尊い将来性豊かな若い命を奪った作戦は斬鬼に堪え
ないというひと言では言い表せられない無残な作戦だったんですねえ。
大相撲の世界で大関に昇進した関取が”大和魂を発揮して”と外国人力
士を意識した勇ましい発言がありましたが大和魂という言語には日本人
の心を揺さぶる「潔さ」という意味合いがあると思います。でも、私は”笑
われても蔑まれても”しぶとく生き残って戦い抜く、あるいは愛する妻や
こどものために面従腹背といわれてもバカにされ罵倒されても生き残る
しぶとさを装備したいものですな。ねえ、ヤング諸君。最後に諸君は決っ
してひとりではありませんぞ、諸君には諸君を心配しながら見守っている
ご両親をはじめ兄弟、さらには友人たちがいることを忘れないでほしい。
そうして”周囲に惑わされず、自分が主役だ”という思いで世界中を探索
してほしい。そうしたら、あなたが想定外のドラマに遭遇することを請け
合います。アッそのためには健康第一だよね。長い間お付き合いありが
とうございました。
ああ「歴史認識」ってえのは疲れますな ぐっさんハイ