過日の白洲次郎のドラマに釘付けになりました。”売国奴、守銭奴と、
他人だけでなく自分のこどもたちからも蔑まれながら戦後復興の立役
者となり、それこそ栄耀栄華を手にすることができた立場にも関らず。
大地を相手の百姓に戻って、すべてを不問にして旅立ったドラマは格
好よかったですねえ。売国奴ではありませんが”卑怯者、腰抜け”など
の汚名を浴びながら必死に生き延びて家族を守ろうとした、百田尚樹
による小説映画「永遠の〇」もよかったですねえ。そりゃ現代では貧困

だ孤独死だと問題が多い世相ではありますが、終戦直後は愛するひと
を失ったとして夫の弟と所帯をもち、こどもができて、その直後、夫が
戦地から目に前に現れる、、。あるいは今日の食いものがなく家族を養
うために青い目の囲い者になる、、そんな重い時代だったんです。そん
な渦中、日本の勝利を信じで敢然と戦った男の中の男が、これから紹
介する超人なんです。長文になりますが辛抱してお付き合いください。
「太平洋戦争の最中アメリカの戦闘機のパイロットを恐怖に陥れたひと

その方の名前は岩本徹三。岩本(敬称は省略)は島根県出身。彼は16
年6月14日警察官の父親の元に樺太国境近くに三男一女の兄弟の三
男として生まれた。父は東京の警視庁勤務だったが、危険な外地勤務
を志願し、樺太国境に勤務していた。幼少時より腕白ですばしっこく勉
強より体を動かすことを好み、地引網で魚の群れを追い込む浜辺の漁
師を手伝ったりする反面、一本気の頑固な正義感の持ち主で教師を辟
易させたとある。高校を卒業後、大学受験し大学卒業あと都会から戻ら

ないつもりの長男の代わりに”いずれは実家を継いでほしい”という父親
の意に反して密かに海軍の水兵を受験し、昭和9年に呉、海兵団に四等
航空兵として入団。航空科として半年後、普通科整備術練習生として霞ヶ
浦海軍航空隊に入隊。卒業して昭和10年8月、航空母艦「龍驤」乗組み
次いで操縦を志望し難関を越えて入団から二年後、昭和11年4月操縦
練習生として霞ヶ浦、海軍航空隊に入隊し昭和11年12月卒業して佐伯
海軍航空隊勤務、翌年7月に大村航空隊勤務となった。霞ヶ浦友部分遣

隊の操練生時代には大宅中尉(操練14期’43年夏にソロモン戦線ガダ
ルカナル上空で戦死,)戦後に零戦搭乗員たちから尊敬された磯崎大尉
(最終階級)たちから教えを受けていた。単機格闘戦の達人、黒岩一空
曹(当時)に率いられ昭和13年2月に大陸戦線に進出。初陣であるこの
月25日の南昌空襲では4機を撃墜するなど、日中戦争では最多数撃墜
を公認(14機)された。昭和15年に日中戦争の論功行賞で生存者金鵄
勲章の最後となる叙勲の栄誉をうけたというところでつぎにいたしましょう






    

     こどもは親のいう通りにはならず 親のやる通りになる
               モンスターペアレンツへ ぐっさんハイ