戦友会といっても戦場で戦ったわけではありませんが家電業界では30
40年まえのメーカーは系列化が真っ盛りの時代で各社、名称こそ違っ
ても自社製品を販売する旗本(販売店)づくりに血道をあげていた時代
でした。ところが流通ルートによっては家電を扱うルートも出てきました。
スーパーとか家電店以外の異業種がそうです。金融流れの家電品を
扱う業種。当時はバッタ屋と称した今でいう家電量販店なるルートが出
来はじめてたのもそのころでした。メーカーもそれら異業種に対応する
部隊が生まれました。メーカーの旗本である自社専用の販売店を担当
する部隊と違って安売りチラシを武器に集客するバッタ屋を担当する
部隊は正直なところ社内ではランクが下にみられていました。復帰まえ
の沖縄にいた私のつぎの仕事はこの部隊でした。因みに沖縄でも系列
化が火花を散らしていました。九州に戻った私が担当した先はスーパー
でした。当時はスーパーなんて”スーッと消える”と陰口を叩かれていま
したが、猛将N氏に率いられたD社のチラシ攻勢は熾烈を極めていまし
た。猛将もひとの子で、出来のよくなかった長男をトップにしたり、赤絨
毯を引いて猛将を迎えたり、サラリーマンの集団に成り果ててしまった
と叩かれ出したら、ある政治屋の実兄の大型スーパーの傘下で細々と
生息している状態になってしまいました。スーパーの商売のピークは土
日祭が稼ぎどきですから我が家は母子家庭状態でした。まあ当時は、
どこもそうでしたがね。あら、横道にそれてきましたが、社内では鼻つま
みというか、いつも批判の対象になった仲間の集まりがあると聞き押し
かけたんです。いづれも個性豊かな猛者のあつまりで酔うほどに昔話に
花が咲きました。だれともなく”おれたちは鼻つまみモンじゃったな、それ
だけん、おれたちゃ戦友たい”といいましたら”そうたい戦友たい”といっ
て乾杯となりました。社の内外から批判されながら”うまくやる”というファ
ジーなことはマニアルがあるわけじゃなし、かといって会社から指示が
あるわけもなく、てめえと、てめえたちのチエと度量で切り抜けろという
仕事ですから、それは腹を割った愉快な一夜でした。あたしゃ、負け惜
しみじゃなく、今のように大根役者のような台詞やアクションが、がんじ
がらめのマニアル社会でなかった環境でやれたことがよかったと思っ
ています。しかしながら中にはこのような過激な、環境に負けて、酒に
おぼれ抜け殻のように燃焼して姿をみせない仲間もいました。アッそう
いえば現役バリバリのころ”飲む、打つ、吸う”で鳴らした豪傑は会場
には現れませんでしたが、やっぱ、なんでも無理を通り越して無茶を続
けてバディを傷めるは、病魔と親戚付き合いになるってえのは本当じゃ
ないかと思える戦友会ではありました。
どこの業界でも「三国志」はあるんですねえ
昔はよかった会 会員 ぐっさんハイ