あたしゃ「いいとも」から姿を消していったタモリという男の生き方に惹か
れています。正直いって40余年やれ目標達成だ、夢が破れたと喚い
ていた私にとってタモリという人物の出現はショックでした。彼は芸人で
も師匠を持たず弟子もとらず、、正確にはどうしても弟子にしてくれと座
り込んだ男を運転手として雇ったという例外はあるにせよ。それまでの
芸能界の常識や仕来りにとらわれず、芸能界にデビューするのも極め
て例外的なんですよね。ミュージシャンが演奏が終わって自分たちだけ

で勝手に騒いでいるところにタモリが現れて一緒に珍芸を披露した。
その密室芸が彼らの話題になって、この奇妙な芸の持ち主を東京に
呼ぼうということになって”九州に森田というすごく面白いやつがいる”
と喧伝したバーのマダムの発案で「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」
が常連客により結成された。あのドンチャン騒ぎの夜ホテルのフロア
にはジャズ関係者ばかりが泊まっていた。ならばジャズ喫茶に行けば
なにか手がかりがつかめるかもしれない、そう考えた山下が博多で、

一番古いジャズ喫茶に向かい”森田というやつを知らんか”と聞き込む
と、果たしてタモリはそこの常連客だった。”知ってるよ”と店主はいい、
その場でタモリに電話しふたりは再会した。そうして75年6月に「森田
を呼ぶ会」によって集められた東京行きの新幹線代がタモリの手に渡
り上京を果たすことになるのである。あのときドアを開るのと開け
ないじゃオレの人生は変わってた。タモリが山下洋輔らに発見された
ときの気持ちである。その後、赤塚不二夫に出会い居候を決め込む

のである。タモリは過去を反省しない。未来にたいする展望も持たない
”人生成功せにゃいかん。ナンバーワンにならなきゃいかん、それに
は何歳までにこういうことをやっておかないといかん(笑い)。ダメだよ
それじゃあ苦しくなるから。”ご利用は計画的に”と消費者金融のCM
で呼びかけているタモリだが実はそれは自身の考え方とは真逆なの
だ。「計画」は立てないタモリは「目標」もつくらない。岡村隆史に”30
歳でデビューしてこの世界で天下をとってやるんだとか大きなビジョン

とかなかったんですか『タモリの~』という冠番組をやろうとか、”矢継
ぎ早に問われたときでもタモリは”あんまり考えたこともないね”と笑う。
やがて37歳で「いいとも」がはじまり1年で軌道に乗った。しかし自分
はすでにその年齢を過ぎてしまったと嘆く岡村にタモリは”だからそうい
うふうに考えないのよ”と諭す。”ほかのことに興味が出てくると、ちょっ
とは自分をみる見方も変わってきて、それは余裕になると思うよ”と。
そうして対談のあと”ハングリー精神なんて邪魔。この世界ハングリー
精神じゃダメだと思うんだけどね。お笑いなんか人間の精神の余分な
ところでやってるわけでしょ”。
 
 肩に力をいれずに飄々と生きてきたようにみえて、その実
 強かに生息し続けるタモリの生きざまは現代の寵児だ。
              肩に力がはいり過ぎた ぐっさんハイ