サワコ:でもお金には困らなかったんでしょう?幸太郎:ワンコインだけの生
活でした。ですからアルバイトで稼いでいました。友だちの実家が建築屋で
したから、そこでアルバイトをしていました。汗を流して稼いで気持ちがよか
った、いつもオレは普通の家じゃないと思い知らされていました。Q:そんな
環境がイヤになったときってありませんでした?A:いえ、これがウチでは当
たり前だと思ってました。Q:そうしてお父さんには内緒で石原裕次郎のオー
ディションをうけたとか。A:ええ、うけました。そうして落ちました(笑い)。Q:
お父さまにひと言ってたら受かったかも。A:それはイヤだった。落ちたあと
に話したら、”そうかうけたか、そんな簡単なもんじゃないといわれた”(笑い)
そんな矢先に父が総理になった。そうしたらオファーが来た。Q:どれくらい
?(指を出しながら)A:10指にあまるぐらい。総理の息子が役者になる。
(自嘲気味に)面白いネタじゃないですか。興味本位で随分、週刊誌とかイ
ンタビューをうけました。そんなとき役者もいいが平凡な人生も悪くないとも
思いました。そこで官邸の父に相談に行ったら顔をみるなり”役者をやりた
いんだろう、やりたいならやりゃいい”といってくれた。もしかしたら役者は
ダメだといわれるのではと思ってましたからホッとしました。Q:もしダメだと
いわれたらグレてた?A:いえ、ダメなら仕方がないと思ってました。
(目を丸くしながら)Q:まあなんて素直なんでしょう。ところでデビューのとき
の苦労は?A:正直いって総理の息子だと腫れ物に触るような扱いをうけた
こともあります。芸能界ってところは個性の集まりじゃないですか。でもボク
は個性を消すように心がけました。Q:そんな芸能界でお世話になった方は
どなた?A:ドリフターズのいかりや長介さんです。同じ事務所でもありました
し、よく面倒をみていただきました。今でこそ”長介さん”っていわせていただ
いていますが、当時は大変な方でした。役者のいろはを手取り足取りで教え
ていただきました。いかりやさんから、”役者というのは年代ごとに演じられる
仕事で、一生食えるからな、あせるなよ”といって肩をポンと叩いていただい
たのがうれしかった。優しいひとでした。それから”オレが台本の手ほどきや
レクチャーしたことはだれにもいうな役者が演技について教えたことがバレ
たら恥になるからな”っていわれていました。デビューして12年目の今年の
1月から今年のスケジュールは決まってしまいました。こんなことははじめて
で、やっと小泉幸太郎という役者として認められてきた、”そういえばお父さ
んが首相だったね”といわれるようになったことがとってもうれしいと目を輝
かせながら”父の存在は一生消えないが幸太郎としてみていただくのがとっ
てもうれしい”と語っていたのが印象的でした。それにしても親の七光りを逆
手にとって、たくましく生きる姿はええですなあ。あたしゃ、次男坊に”慰安婦
問題はどう思う?”ってQ:をぶっつけてみたい衝動に駆られました。
私のようなワルガキとは対照的なイイ子の登場でありました。
でもイイ子なりに一生懸命生きているんですねえ ぐっさんハイ