この米沢さんって方も「深夜便」を子守唄みたいに聴いていたというか聞こ
えてきたときだったんですが、ジャパネットたかたの社長さんほどではあり
ませんが、でも結構、眠気をさますようなかん高い声に引きつけられた方だ
ったんです。司会者が、”物理学者というイメージから随分、お堅い方かと
思ってたんですが意外と、ざっくばらんな方ですね”とお世辞をいっていまし
た。ご本人は”物事をとことん突きつめないと納得しない性質なものですか
ら、そんなことから物理学というと世間では逃げ腰になるような世界に興味

をもったのかもわかりませんね”とさりげなく口にしてありました。この方もお
母さんの影響を受けたそうで、もっと高学歴を見極めたかった学問を娘の
登美子さんに託した形で、出征中の父親がニューギニア・ソナムにて戦死。
女4人の家庭の長女として育つ中、苦学の末、京都大学理学部物理学科を
卒業。小学校5年生のとき、知能テストでIQ175というお化けみたいな数値
を出して注目を浴びたそうです。5歳のころ、絵を描いているときお母さん
から「三角形の内角の和は二直角」と教えてもらい衝撃を受け、それが、

きっかけで数学に興味を持つようになったそうです。極め付きは、お父さん
が出征する前に、蓄音機に興味を持ち、”(蓄音機の中に)小人がいるので
はないか”と思い、わざと蓄音機を壊してしまい、お父さんに怒られてしまっ
たという逸話があるそうです。あたしみたいに、こどもはどこから生まれてく
るのか知りたくて仕方がなかったガキとは段ちの天才少女だったんですね
え。女の細腕で3人のこどもを抱えたお母さんは、たくましかったんですねえ
当時はこんな過酷な状況で母子が助け合って生活するのは当たり前の、

時代でした。成人となり株屋さんと所帯をもって、ご主人がロンドンに単身
赴任。夫を追いかけて渡英し京大博士課程1年在学のままキール大学大
学院に留学。ロイ・マクウィーニという舌を噛みそうな学者に師事。英国留
学を終えて日本に帰国。京大に復学、長女を出産。ご主人の東京赴任に
伴い自身も東京に移り東京教育大学物理学科に所属。ノーベル賞受賞の
朝永振一郎氏と出会う。その後、京都大学、基礎物理学研究所助手に採
用され長女と共に京都へ赴任。その間、二人のお嬢さんも授かって慶応

義塾大学理工学部教授。同年、乳癌で手術を受けご主人も肝臓癌で亡く
なられたそうです。そうして96年、女性としてはじめて日本物理学会会長
に就任。とまあ大急ぎで足跡を追っかけましたが、1日4時間睡眠で机に向
かっていたある日、新しいアイデアが突然ひらめいて”これだっ!”。雷に
打たれたような衝撃に、体の震えが止まらなかったとか。今、95歳になら
れるお母さまを家族みんなで見守った生活をなさっているそうですが少女
の如き、ときめきの数々のエピソードに感銘を受けてキーを叩きました。
  
米沢登美子先生の珠玉のつぶやき 
  *日本物理学会会長に選出されるときに”就任後、ああ、米沢は女
    だったんだ”といわれたことがとっても嬉しかった。
  *ひとりで思い悩んでいるときに夫から”なんだそんなことで悩んで、
    いたのか、どっちをやるかじゃなくで、どっちもやりゃいいんだよ”
    のひと言は目からウロコだった。
  *フル回転モードを持続して論文を仕上げた。私はこの複素数を数
    学的な解析から導いて、この理論に到達したとき”こんなことを思
    いつく人は、世界中に誰もいないだろう”と考えたが、実は米国の
    物理学者がほとんど同時に似た内容の論文を発表した。私は後
    本人と会い、お互い”他人に頭の中をのぞかれたような気がした”
    と語り合い盛りあがった。
  *なによりも、すごいのは、当たり前のように学者としての生活だけ
    でなく、妻としてそして3人の子供の母親として、すべてを両立させ
    ていること。学者と母親/妻の両立こそ、結婚時の夫との合意事
    項だったとはいえ普通のひとには到底出来ない。
                      ヨッ!あんたが大将!ぐっさんハイ