日経新聞の「私の履歴書」をみていますと興味深いですね。ここに登場す
る方々は社会人として成功され、他の模範となる方々ばかりのようですが
世に出るまでは、ほとんどの方が順風満帆というというわけではなく、むし
ろ失敗、挫折の連続で、その中から何かを掴みとってこられた方々ばかり
なんですねえ。私はそんな「私の履歴書」を拝見して、羨ましいというより、
親しみを感じてしまいます。ああ、自分も英語で死ぬほど恥をかいたな、と
苦笑してしまいます。ヤングマン!頭から”オレには無理だ”とか”オレには

運がねえ”と横を向かないで失敗と親友になってみませんか。そうしたら別
の世界が覗けて旨いのもが食えたり美形と縁ができるかも。で、本日は根
岸英一さんというノーベル賞受賞学者に登場していただきます。氏は昭和
10年、満州国新京(現在の中華人民共和国吉林省長春市)で誕生し日本
統治時代の朝鮮京城府城東区(現在の大韓民国ソウル特別市城東区)で
育ち戦後、神奈川県の現在の大和市に引き揚げ同地で少年時代を送る。
新京時代に内地の同世代の児童より1年早く小学校に就学したため、

神奈川県立湘南高等学校に入学した際には同級生より1歳年下となってい
たという。昭和28年に同校を卒業し、17歳で東京大学に入学。昭和33年
京大学工学部応用化学科を卒業。なお同大工学部工学系研究科出身
者としては初めてのノーベル賞受賞者である。同大卒業後、帝人へ入社。
その後、帝人を休職して奨学生としてペンシルベニア大学へ留学し同大学
院博士課程修了。その後、日本の大学での勤務を希望していたが職場が
見つからず帝人を退職してパデュー大学博士研究員となる。在米歴は、


50年を超え家族は妻、2女と4孫と目もくらむような経歴と実績をお持ちの
えらい先生なんですが、この方がヤングマンにこんなことを呼びかけてあり
ました。”若いうちに日本を離れ、外から日本をみること。さらに世界最先端
最高水準の研究者のもとで研さんする大切さを声を大にして訴えたい英語
は下手でも構わない。モンゴル出身の力士が日本語をうまく話すように次第
に上達するものだ。研究に限らない、スポーツや音楽などエクセレンスを求
める分野では日本一すばらしいが、ぜひ、世界を見渡して腕を磨いてもらい

たい。「自信がある」「向いている」という分野を見つけて研さんに励んでもら
いたい”といってありました。先ほどips細胞の世界的な研究結果でノーベル
賞を受賞された山中教授も”失敗はつきものだ、成功とは失敗の連続から
生まれた結果である”とも。最後に日本の大学など研究機関の方々やそれ
を監督、育成する行政の方々にもなぜ、優秀な人材が海外をめざすのか、
お粗末閉鎖的で縦割りの徒弟制度が、がんじがらめでお金もなく、折角
の有望人材は海外に流出してしまう、や出て行かざるをえないと警鐘
を鳴らしあったことが印象に残りました。




  
興味深い発言といえば根岸さんも”特許を取得さえすれば、我々の
  成果を誰でも気軽に使えるからと考え、半ば意識的にした”。山中
  教授とまったく同じ内容の発言が印象的でした。   ぐっさんハイ