役人はロクでもない、官僚は悪人揃いというイメージが付きまとった民主の
天下が終わり自民は野田前総理が禁じ手だと批判した日銀を抱き込んで
お札の増刷にまい進中です。面白かったのは安倍自民党が大勝したての
ときに自民党の総裁室を訪ねた日銀総裁が記者団にマイクを向けられて”
今日は安倍総裁にごあいさつに伺いました”とまゆ毛を八の字にして語って
いましたが、呼びつけたほうの安倍総裁は”これからの金融緩和策につい
て話し合いました”と胸を張って公言していました。その前後からアベノミク
スに拍車がかかっていました。それまでの日銀といえばアンタッチャブルみ
たいに日銀独自の判断で金融政策を仕切っていたのがウソみたいに政府
主導に様変わりしました。あたしゃ、これも探偵団から、強面の親父軍団に
かわった象徴的な出来事ではないかと思います。今の日銀総裁は風前の
灯火みたいにいわれて、まゆ毛が益々八の字になっています。さて、今日
の主人公は内閣官房副長官という内閣の事務方の台所を仕切ってきた、
いわば裏方のトップを8年7ヶ月にも渡り、前任者の石原氏を抜いて歴代
最長の在任記録保持者である古川 貞二郎という御仁の話なんです。肥前
の国は佐賀の産で、若い頃から国の役人になりたくて長崎県職員時代に
国家公務員試験を受け、官庁訪問で厚生省を訪問した際には一度面接で
落とされたものの”どうしても福祉の仕事に携わりたいので長崎へは帰りま
せん”と必死の談判をし、その日は一端、帰路につき後日採用通知が来た
というエピソードをお持ちの方なんです。その後’86年には:内閣官房首席
内閣参事官(現在の内閣総務官にあたる)として 昭和天皇の崩御による、
「大喪の礼」や今上天皇の「即位の礼」に関係する一連の行事を、官僚の
事務方のトップとして指揮したり、’95年:内閣官房副長官になってからは
アメリカ同時多発テロ事件直後に、内閣にイラク攻撃の米軍支援のため、
日本の自衛隊艦船(イージス艦)を戦争域内に派遣するための具体的方策
の策定のためのプロジェクトチームを作ったり現総理大臣官邸整備事業を
取り仕切るなど、まあ、このように余人をもって代え難し、という仕事をして
退官されたあとに、例の「深夜便」に出演されていたものを一部パクッた内
容ではありました。いえね、あたしゃ、古川さんっていう方の肩をもつ義理は
ありませんが緒から役人や官僚は悪いって決め付けちゃあ、身も蓋もない
ってことをいいたいんです。国会のセンセだって、最高学府を出た知識と体
験を生かして立派にお国のために働いている先生は沢山いらっしゃるんで
すからね。ただ、一部の官僚に”おれが政治を動かしている”という自惚れ
や勘違いをしている官僚がいるのでは、と思った次第。最後に、古川氏の
”道は必ず開ける”という執念と”与えられた仕事に全力を傾ける”という、
若い衆が忘れかけている言葉を進呈して終わります。
就活って簡単にいうけどさ あんたの日頃の生活ぶりや物事に対する
一途さ執念ってえのがすぐバレるんだよね 付け焼刃じゃダメなんだよね
憎まれ口を叩くかい 会長代理 ぐっさんハイ