博多の街に学校の認可問題でバッシングを受けたあの田中大臣が現れると
いうので駆けつけましたが玄関先に「田中大臣の講演は中止」と殴り書きが
目にはいりがっかりしました。係員は”公務多忙で急遽とりやめになりました
”当たり障りのない返事が返ってきて、手回しよく、変更されたスケジュール
表を手渡されました。それによると由紀さおりが「童謡を伝えたい」という演
題でトップになっていました。最近はアメリカのバンドと組んでCDを発表して
世界的なヒットとなったり、お姉さんと童謡の活動をしたり売れっ子が真紀子
大臣に代わっておしゃべりをするというので、そのまま会場に居座ることにし
ました。定刻になりましたら、めがねをかけたおばさんが開会を宣言して女性
の司会者が紹介して、ありきたりの挨拶をしていたのは男性でした。演題の
後方に掲げてあるパネルにはライオンズクラブ・レディースとありました。司会
者がカンニングペーパーを抑揚のない言葉で由紀さおりのプロフィルを紹介
したあと、観音様のような微笑を称えながら、水色のスーツに身を包んだ、
当人が現れて深々と一礼して、”私が妹のさおりと申します”とユーモラスにい
いましたら場内から拍手と笑いが起こりました。では、早速、彼女に肉声でお
届けすることにいたしましょう。”姉とは26年前から一緒に歌っています。歌
手として10年は売れました。11年目でしたか、NHKの紅白に出させていた
だいたことで、どういうわけか卒業した形になって(笑い)、全然売れなくなっ
てしまいました。ですからコメディアンとして食いつなぎました(苦笑)。チヤホ
ヤされお友だちだと思っていた方も去り、落ち込んでしまいました。立ち直る
まで5年もかかりました(場内シーンとなる)。それからというものはNHKを
はじめ自分から売り込みに飛び回りました。事務所の社長、、といっても母
のことなんですが(笑い)。その母が心配して”これからどうするのよ”といい
ました。私は借金をしてオーケストラを編成しました。しんどくなったところで
15周年目のコンサートを姉とやりました。児童唱歌を唄いました。これが
ウケ今日まで続いています(拍手)。母も喜んでくれて親孝行になりました
(拍手)。でも儲かる仕事ではありませんでしたが、私は日本文化を担うと、
いう気持ちで続けました。その間、アルバムをつくりましたが中々置いても
らえませんでした。出前コンサートもやりました。ギャラは要らないからアル
バムを置いていただいたら唄うというキャンペーンもやりました(と苦労話が
続く)。母国語としての歌を残したいとも思って唄ってきました。今の若いひと
はAKBやEXILEを好みます。あたしもEXILEのTSUYOSHIくんなんかと友だ
ちですし、いけないと思いませんが、日本の昔から親しまれている童謡も唄
っていいんじゃないかしら(拍手)。NPO活動もはじめ知人の紹介で幼稚園
も回って母国語である日本語を大切にしていきたい思いながら園児たちとも
一緒に唄っています。話はかわりますが太田市にはブラジルからきたひとが
30万も住んでいらっしゃいます。また、インドネシアやフィリピンから介護の
ために沢山の方が来日してお世話いただいています。地味な活動ですが足
元をしっかり唄って夜明けのスキャットと違った活動をしていきたいと思いま
す(拍手)。細くやさしい眼差しで語っていた、さおりおばさんが一変。厳しい
口調で語りはじめましたら和やかだった会場が静まり返って参りました。その
話とは、、。次にいたしましょう。
めでたい話:いつものように街へ出かけようと踊り場でエレベーターを待っ
ていましたら、お祝いなのか晴れ着を着た先輩らしいご夫婦と一緒になり
ました。あたしゃ”あら、どなたかのおめでたですか”と声をかけましたら奥
さんが”ハイ息子がやっと嫁をとることになりました”と深々と頭をさげられ
ました。あわてて”そりゃあ、おめでとうございます”といいましたら”やっと、
所帯をもってくれました”と安堵の表情をされていました。 ぐっさんハイ