(女性のハートをしびれさせた藤原義江の甘い歌声が場内を駆け巡る)。
如何でした?雑音が聞こえんかったでっしょ。さて3番目は東海林太郎の「
国境の町」です。当時の日本は新天地をめざして満州へ渡るひとが多かっ
たですが、中には借金で首が回らんごとなって満州や中国に渡ったひとも
ありました(頷くひと)。おなじようにロシア革命で国を追われた白ロシア人
も満州の首都だったハルピンに大勢押しかけて、国際都市化しました。あ
の直立不動の姿勢で唄った東海林太郎は姿勢のごと、実直な男でデビュ

ー当時のプロデューサーが小さな会社ば立ち上げて、誘われてそこに移り
ました。人気絶頂の歌い手でしたが、新しい会社ではヒット曲にめぐまれず
不遇なひとときを過ごしました。身体もあんまり強くなかったのですが病気
になって手術をして間もなく舞台にあがって唄ったものの唄い終わったら、
傷口に巻いていた、さらしが真っ赤な血にそまっていたそうです。そんな無
理をしながら舞台に立って、非常に義理堅い男だったそうです。それでは
東海林太郎の「国境の町」をお聴きください(といって朗々とした歌声が場内

一杯に響きわたる)。(曲が終わって)まるで東海林太郎がそこに直立不動で
唄っていたごたったでっしょ(場内では頷くひと多し)。当時のレコードは高か
ったとですよ。給料が20円ぐらいだったときに1円50銭から高いとは3円も
しよったですからね(ホーッと驚きの声)。この「国境の町」を作曲した阿部さ
んな、幼くして両親を亡くし、まだ小学生という頑是ない子供であるのに、町
役場の給仕として働き生活の辛酸を舐めていたそうですな。とにかく、彼の
人生航路は幼にして既に想像を絶する苦難の連続だったそうですたい(場

内はシーンとなる)。その反動かどうか知りませんが、もらった大金ば一夜で
使い切ってしもうて、すってんてんになったそうですたい。カネがなくなって流
しのバイトをして食いつないだそうですよ。大ヒットを飛ばした作曲家でしたが
晩年は、どこでどうなったか行方がわからんごとなった謎の怪人ですたい(下
を向くひと)。次に聴いていただくのは「赤城の子守歌」です。この歌で思い出
すのは、私が佐賀の赤松小学校の5年生のときにミス赤松がふたり居って、
(笑い)。今でもきれいだったと思います(爆笑)。で、校門のところで、取っ組

み合いのケンカばしよったとです。なんでケンカしよっとかと訊いたら、”どっ
ちが綺麗か”かっていうでケンカしよっていういうじゃなかですか(爆笑)。いろ
いろ事情ば訊きよったら、そのうちのひとりが作曲した竹岡武雄の遠い親戚
ていうじゃなかですか(笑い)。あたしゃ、びっくりしましたばい(爆笑)。「赤城
の子守歌」は「ヤクザの子守歌」ていうて東海林太郎が唄わんていうたげな
(ヘーッという声)。竹岡が口説いてやっと唄うていうたそうです。歌の文句も
そうですが、ギリギリまでもめて編曲し直して、やっと東海林が唄って大ヒット
した歌ですたい。というところで次にいたしましょう。
             体調の良い日は 医者をはしごする ぐっさんハイ!