見出しをみて”あらイチローに恋人ができた”なんていう話ではありません。
今日の主人公は「打撃投手」という裏方のプロフェッショナルの話なんです。
表舞台の投手は打者に如何に打たれないように投げて相手チームに得点を
与えないようにするかチエを凝らして全力投球をしながらスポットライトを浴び
て試合をすすめます。ところがこれからお話する「打撃投手」というひとたちは
如何に打者が好むコースに適度なスピードで投げ込んで気分よく打たせて試
合に臨ませるかということに全力を傾注することを仕事にしている方々なん
です。「平成23年2月、読売ジャイアンツの宮崎キャンプ。今年28年目の打
撃投手生活を迎える北野明仁(50)は一軍の主力投手に対して投げていた。
北野はチームの中でも最年長のベテラン打撃投手である。とくにアメリカに渡
った松井秀喜とは巨人時代からずっと打撃練習をともにした間柄だ。松井の
信頼も厚かったため、記者たちは北野を「松井の恋人」と呼んでいた。ある日
打者に向かって投げていたときに、右肘に電流が走ったような激しい痺れを
感じた。痺れは一瞬にして薬指などの指先まで走った。背番号「200」の、
北野の背中がちいさく震えた。”もうダメだ”。彼が打撃投手として生きること
を諦めざるをえなかった瞬間だ。北野は昨年、1月にも脊柱管狭窄症にかか
り腰の手術を行っている。そのため春季キャンプ期間中はリハビリに費やす
こととなり投げることができたのはシーズン開幕後の4月からだった。今年こ
そはチームに迷惑をかけられないと気負った矢先の怪我だった”去年の分ま
で取り返そう”そう決意して臨んだキャンプだったが、彼の体は長年の過酷な
仕事の限界を超えていた。チームドクターに診せたらただちに尺骨神経麻痺
と診断された。彼の打撃投手人生の終幕はあっけない形で訪れた。北野は
現在、球団職員として働いている」。彼らの多くは元プロ野球の選手であり、
戦力外通告を受けた投手が第二の人生として、打撃投手の道を選ぶそうで
すが、怪我などで無念のリタイアをした者が勤めながら1日300球も投げ込
むこともあって、消耗品のように球界から消えていく職業なんですねえ。ナガ
シマさんにも、世界の王さんにも恋人はいたそうですが、そのスーパースター
のあとに登場した落合選手の打撃投手はすこし変わっていたようで超スロー
ボールを投げる立野さんは高校時代にノーヒットノーランを記録したものの、
5年間のプロ野球生活では一軍の登録もなく戦力外通告で落合の相手を
するようになったとありました。山なりの球を要求された理由を”速い球だと
1,2,3のタイミングで弾き返すことができるが、緩い球はそれができない。
オチさんは緩い球がくる前にゆっくり力を貯めて完璧なフォームで打った。
バットコントロールもしやすい。彼が緩い球を好んだ理由はそこにあった”と
いいます。落合が三冠王に輝いたときだ”三四郎、ちょっと”と立野を呼び、
つけた。怪訝な顔で近付くと落合はぶっきらぼうに箱の包みを渡した。蓋を
開けてみるとそこには「三冠王達成記念 落合博満」と彫られてあったそう
です。さてイチローの恋人だった奥村幸治は世界のスーパースターである
イチローをボルチモアの球場に訪れたとき、イチローは奥村をみると”アッ”
と大きな声を出して”奥村さんは相変わらず小さいですね、真っ黒ですね”と
遠慮のない挨拶がかわされた奥村は、プロをめざしたものの叶わず、オリ
ックス、阪神、西武の打撃投手をへて少年野球の監督としてアメリカの土を
踏んだものだった。その奥村がオリックス時代のイチローを”ひとり残った
特訓の練習量は尋常じゃなかった、殺気だった練習は近寄れなかった”と
振り返ります。奥村はイチローの連絡先も知らないし彼からの連絡もない。
イチローは過去を振り返らない選手なので引退してからゆっくり話せたらい
いなと思っているとも口にしていました。イチロー選手、いやスポットライトを
当たっている選手諸君。てめえひとりで目立つポジションに立ったと思った
ら大間違いですぞ。ひと目のつかない片隅でじっと諸君の活躍を心配そう
に見守っている裏方さんを想い、活躍されることを期待してますよ。
よせばいいのにイランまで乗り込んで、カッコイイところをみせ
ようとしたもののアラビアンナイトの政界に利用された鳩ポッポ
目立ちたがり屋撲滅運動 博多支部 ぐっさんハイ