その強い思いが、卒業後、西岡氏の門を叩き弟子入り志願につながった。
しかし西岡氏は許してくれなかった。都合3回、3年間をかけての弟子入り
志願にとうとう西岡氏の許しが出た。今は亡き大棟梁の弟子は後にも先に
も小川氏一人だけである。”法隆寺のころというのは木を規格化することが
できなかったわけで、材料になる木をよく見ることで設計も変わってくるので
すね。つまり、木が均質だったら最初から設計図を描けるけど材料のネタに
よって料理を変えなきゃいけないから、設計図というのは完成図としては、

造れないわけですね。だから設計図はないんですよ。日本の中での設計図
というものは、、今から500年ぐらい前にちょっと残ってるぐらいで、あとは、
ないんです。なくてあれだけのものをつくった。ですから、どういうふうにして…
と1300年後の私たちはそう考える訳です”。弟子にはほとんど教えたことが
ないという小川氏。でも何らかの言葉がけくらいはするだろう。”例えば、弟子
によく言うのは、うそ偽りがない、自分が思えることを精一杯やっておくんだよ
ということです。毎日毎日の仕事を精一杯やっておくというか精一杯、やって、

おくということは、未熟であってもいいんですよ。未熟であろうが何だろうが、
そのときの自分はごまかしようがないんですから。でも、未熟ではあっても、
うそ偽りのないものを一生懸命やってやってやって、やりきって造ったもの
は、やっぱし何百年か後にこの建物を誰かが解体修理した時へぇ、平成の
大工さんはこういう考えをしてあるんだなと、それを読み取ってくれる人がい
るんですよ。ですから、読み取ってくれる人がいると思うから、精一杯のもの
を造っておかなくちゃならない。うそ偽りがあるかどうかは、そこにある建物

の中に、現れるんですから”。法隆寺建立の時代、つまり奈良の飛鳥時代、
大工道具にはノコギリがなかった。材木をナタで切ったという。その上、各
部位に使う材木は,すべてが均質な材質ではなかったから部材の規格は
すべて違っていた。それを木の性質を見抜き,どう組み合わせて建物を造
っていくか、これがあの大建築となった。それ以前に、あの規模の建築は
なかったわけで、当時の大工達が初体験であれを作り上げられたのは、
そうした「意気込み」というかエネルギーのすごさがあったわけでそうした

1300年前の人達との「会話」がこの上なく楽しいのだそうだ。同時にライバ
ル意識も相当に感じるとのこと。次はそんな会話から感じること。”奈良の都
は60年で造り上げるんです。それを造るために熟練した工人というのはそ
れほど沢山はいないです。都を造れるほどの工人はいないはずです。何人
かはそういう熟練して知っている人がいたかもしれないですけども。しかし、
奈良の都に、ものすごい数の寺院があったわけですよ。それを造り上げた
んですよ。そうなると思うのは、やっぱし、「造り上げる精神」があったという

ことです。東大寺の大仏殿は、当時のほうが、今よりも大きいものなんです
から。世界でどこも、あれだけ大きいものを造ったことないんですよ。しかし
日本人は造り上げた。実際に造り上げたわけですよ。重力の計算したわけ
でも何でもないし、それだけの大きな材料がそろうかと言えば、揃わないか
もわからない。それでもやっぱり造り上げたんですよね。技術とか技能とい
うのをもし、そこで知っている人がいたとして、それに捉われていたら、それ
以上のものは造れない。しかし、、。というところで次回にいたしましょう。
     
    規格品ばかりの現代 手造りの極致を語る小川さん ぐっさんハイ