朝ドラ「カーネーション」が快調に人気番組のトップを走っていたヒロイン糸子
の役だった尾野真千子から夏木マリにバトンタッチされ、真千子さんは”私は
まだ未熟。尊敬する夏木さんに代わってもらえて幸せ”とかなんとか、けなげ
にも口にしていましたが、”なんや、なんで代わらないかんのや”という捨て台
詞を吐いてほしいぐらいの熱演でした。カミサンなんか、3度のメシと同じよう
に朝みて昼みて土曜日のBSのダイゼスト版もみるというぐらいハマッていま
したがな。ある週刊誌を本屋で立ち読みしていましたらそのモデルになった、

小篠ファミリーの長女ヒロコさんがインタビューに応えていました。スーパー
ママだった小篠綾子さんは大正2年の生まれ。洋裁がまだ珍しかった時代
に、いち早くミシン縫いを覚え、21歳で岸和田の父親の営む呉服屋に「コシ
ノ洋裁店」の看板を掲げた。戦争で夫を亡くすが、女手ひとつで一家の暮ら
しを支え続け、やがて3人の娘も世界的に活躍するファッションデザイナー
として成功を収める。92歳でこの世を去るまで、生涯現役を貫いた綾子さん
は「コシノ四姉妹」と呼ばれるほどパワフルで憎めないキャラクターで多くの、

ひとに愛された。平成18年のお別れの会には3000人のひとが参列したと
いう。では早速、ヒロコさんに登場していただくことにいたしましょう。”朝ドラ
なんて時計代わりにチャンネルを合わせるだけで、男がみるもんじゃない、
なんていうてたひとが今や「カーネーション」にハマッていると聞いて正直驚い
ています。ドラマですから、全部が全部事実に即しているわけではありません
が身内の私がみても、あんな感じやったと思います。事実、生前のお母さん
はユニークなエピソード満載のひとでした。昔からコマネズミに負けないほど、

働き者で、子供の頃は私たちが悪さしてもミシンから頭を上げずに”ヒロコ!
ジュンコ!ミチコ!”と叱る。振り返らなくても決して名前を間違わないところ
だけはさすが母親だったと今でも感心します。でも仕事以外のことは世間の
常識とは相当ずれていたと思いますね。文化洋装学院に入学した翌年には
唐突に”車買うたで”と電話がありました。びっくりするようなポンコツで夏休み
に岸和田に帰ると運転手を命じられ、運転は3日間ほど習っただけ。恐る恐
る走っていたら行く手に、焚き火が燻っていたんです。するとお母ちゃんが、

”そんなもんビューッと行ったらええねん”ですよ。仕方なく、そのまま車をすす
めたら、よりによって、そのそばで止まってしまった。”あかん、ガソリンやから
爆発する”って大騒ぎ。ふたりで大慌てで逃げました(笑い)。でも、そんな性格
が幸いしてこれまでどれだけ助けられたことかわかりません。私がぎっくり腰で
動けなかったときもすごかった。1000人の講演会が決まっているのに痛くて
どないしても動かれへん、今更ドタキャンできんし、進退窮まってお母ちゃんに
電話したら”ほな代わりにいったる”って。私の講演会にお母ちゃんが出ていっ

たんです。会場から”なんや親か、ヒロコさんじゃないんか”てヤジが飛んだら
しいけどお母ちゃんは”今日のテーマやったら私のほうが向いてまっせ”とやり
返し、立派に代わりを務めてくれました。たまたまその日のテーマが「後継者
問題について」(笑い)。まあ、お母ちゃんはどれほどの窮地に陥っても決して
弱音を吐かず、私たちに受け継がれたコシノの血なんでしょうかね。現代では
何かあるとすぐに政治が悪い、環境が悪いと何事も他人のせいにしがちです
が、お母ちゃんたち、戦争を体験した世代は文句をいう暇があったら自分で

道を切り拓いたほうが早かったんでしょう。私たち三姉妹もお母ちゃんを頼り
にしてたらえらい目に遭うと幼いころから叩き込まれてきました。だからこそ
世界に羽ばたくことができたんやと思います”。まだまだ自慢話は続きました
が本屋の親父がはたきをもってにじり寄ってきましたので退散することにしま
す。それにしても、ものすごい迫力ですなあ三姉妹は。ドラマのヒロインを囲
んだ写真も掲載されていましたが、まさに「美女と野獣」、、(ポカッ!なんて
失礼なこというのよ!)だってさ、この親にしてこのこどもありって感じでしょ。


         お母ちゃんは90歳を過ぎても娘の私たちにライバル心
             を燃やしていました 長女ヒロコ 代読 ぐっさんハイ