それだけ根が深い問題だとわかってほしいと思います。「我と汝(われとなん
じ)」というフーバーの有名な諺がありますが解読してみますと1.私とあなた
は人格的関係において成立している。2.それがいつの間にかあたしとそれ
に置きかわった。3.相手もモノ化した結果、我も失すとなってしまった。最近
盛んに絆という言葉が氾濫していますが、絆が手段化していると思います。
普段は労働力といわれていたものが、労働物になりロボットみたいになって、
陰惨な事件が多発しています。そんな、世相に敏感な若者はだれかと絆を、

持とうとすると傷付く若者が多くなってしまいました。昨年の今ごろ、タイガー
マスク現象が各地で起こりました。キリスト教は本来、隠れて善行をよしとし
ています。余計なことですがランドセルは国費で支給されますし、仮にどこか
へ持っていっても、警察に届けられたら子供たちの手に渡るのは4月になり
ますから折角の善行がずれてしまいます。また私の支援活動の話になります
がひとによっては、話しかけたいが付いて来られたら困るというひとがいます
私の体験からいうと付いてくるひとはいません。むしろ”若造バカにするな”と

弁当を投げ返されることがあります。助けることも自己責任です。どうしてひと
の善意を素直に受け入れないかと思われる方もあるでしょうが口に出せない
ひどいことを日常的に社会から受けて素直になれないんです。幸せに過ごし
ているひとには理解できないことです。勿論、自己責任ですから自分でなんと
かしないといけないし、肉親の責任といえるかもわかりませんが、大概、本人
が顔向けできないようなことをして、こどもや身内から縁を切られたようなひと
が多いようです。そうして無縁社会の予備軍となってしまう。もっと自己責任を

意識させるような社会であってほしいと思います。ハウスレス、、、私どもは
社会復帰のため住む家を斡旋しています。すると彼らの中には”オレの最期
を看取ってくれるひとがほしい”というひとがいます。甘えだというひともいま
すが、常に外に向かって突っ張っていてホッとしたときに本音というか本当
の気持ちが現れます。外ではなかなか”助けて!”といえない。ある小学生
の講師をしていたひとが60歳でクビになり死のうと思って、さ迷ったが死ね
なかった。ところが病気になって死にそうになったら”助けて!”と声に出して

叫んだ。そうしたら助けてもらえた。連絡を受けたこどもたちが駆けつけてく
れて涙をためて聞き入ってくれた。そんなドラマもありましたが、要は素直さ
は人と人とを結びつける大きな要素になります。最後になりますが、私ごとで
恐縮ですが、長男は不登校児になってしまいました。家庭内で暴力は振るう
し、本人は心身が、ずたずたになって倒れてしまいました。カウンセリングを
受けたりしながら治療をしていました。そんなある日、突然、”ぼく沖縄のOO
に行く”といい家を出ました。沖縄本島からすこしはなれた島なんですが、

島のおじいやおばあに助けていただきながら自分を取り戻そうと一生懸命
頑張っています。私も息子のいる島に行ってみなさんにお礼をいってきまし
たが、温かい島で暖かく見守られて過ごしている息子は輝きを取り戻そうと
しています。そこには島のひとたちの強い絆がありました”。如何でしたでし
ょうか。”(殺すのは)だれでもよかった!”という若者の叫びは社会の非人
間的な扱いの反抗でもあったんですねえ。私は終身雇用という制度に守ら
れて、右肩あがりの世の中で、存分に暴れ回れて幸せな時代でした。
しかしヤングマン、希望を捨てず、諦めず、、。
   
    韓国人の友達からメールがきた。”世界唯一の核被爆国日本 
    大戦にも負けた。毎年台風がくる。地震だってくる。津波もくる。
    ・・・小さい島国だけど、それでも立ち上がってきたのが日本なん
    じゃないの。頑張れ!超頑張れ!ちなみに僕はいま泣いてる。
                        震災当時の話 ぐっさんハイ