今日も私如き小者では到底やれそうもないような、この世の生き神さまの
ような方のご紹介です。今日と次回は胸を締めつけられるような重いお話
でありますれば、1篇だけの出前とさせていただきます。お断りさせていた
だきますが、私流に感じたままをお届けするものであります。この方のお
名前は坂本洋子さん。里親として”あなたと家族になりたい”というこどもた
ちと同じ屋根の下で暮らしている方のお話です。新婚旅行のときに”将来
こどもに恵まれなかったら、里子を育てよう”という話になって結婚3年目。

こどもを授かる可能性はないと医師に告げられたことから夫婦で悩み、話
し合った末、里親をとることを決意。28歳で東京都の養育家庭制度(里親
制度)に登録し3歳の男の子を最初の里子として迎えることになりました。
ご主人は都立養護学校教員だという対談者のプロフィール紹介のあと、眠
れなくなるような身につまされた切ないお話がございました。ええ、いつもの
ラジオの「深夜便」のお話です。では早速、坂本さんのお話を伺うことにいた
しましょう。”今から18年まえ里親としてはじめて「長男」を迎えました。施設

にまいりましたら、実の親に棄てられたり、事情があって暮らせないこどもが
たくさんいました。最初に迎えたこどもの年は3歳と2ヶ月になったこどもでし
た。施設に伺いましたら、ガラス越しに、こどもたちが私たちをみていました。
いや厳密にいえば見詰めていました。それまで雑然と遊んでいたこどもたち
が遊びをやめ、一斉にこちらを凝視しているんです。そうして、こんどは誰が
もらわれていくのだろうという目をしていました。もちろん、本当の気持ちは
わかりません。でも、この児童福祉施設の限られた空間から誰がもらわれて

いくのかというふうに私には思えました。施設から推薦を受けたこどもを引
き取ることになりました。残されたこどもたちの目を忘れることができません
でした。私たちは軽い精神症にかかっているこどもを敢えて預かることにな
りました。里子制度には養子縁組と単に養育里子などがありますが、私たち
は養育里親となりました。それは将来こどもたちが、ひとり立ちしたときに、
自分の意思で独立してもいいようにと思ったからです。普通は妊娠して10ヶ
月の間に自然な形で親子になっていくのですが、私たちの場合は28歳で、

突然、親子になったわけですから、親子ともわからないことだらけでした。
昼間、買い物とか散歩に連れていくことがありましたが、見るもの聞くもの
すべてが新鮮なんでしょうか、目を輝かせていました。商店のおばさんか
ら”可愛いお子さんね”と声をかけていただくこともありました。あるとき電
車に乗りましたらこどもが隣のおばさんとなにやら話しています。あとで、
どんな話をしたのって聞いたら、”おばちゃんが可愛いといってくれた”と嬉
しそうに話していました。このようにそれまでは家を中心とした生活で割と

順調で幸せでした。やがて保育園に通える年になりましたので保育園に連
れていきました。でも、その辺から里親子への厳しさというか世間の私たち
をみる目が一変することになりました。といいますのは、あるとき息子が靴
下を穿かないで帰宅したことがありましたので”(靴下は)どうしたの”と聞き
ましたら、アッといってどこかへ飛んで行きました。しばらくして帰ってきまし
たら、ちゃんと靴下を穿いていましたがウチのものではありませんでした。
どうしたのか訊いたら、ともだちの家にあった靴下を穿いてきたというのです

保育園でもこんな調子で息子はモノをとるということで問題児となってしまい
ました。私もはじめのころは、なにがなんだか理解することができず只”ひと
のモノを盗むなんていけないことだよ!”と普通の常識に照らして叱るだけ
でした。こどもは反抗して口も聞かなくなってしまいました。只、黙って私を
睨みつけているだけでした。そうして寝ている姿は、怯え虐待児のように背
中を丸めて、ひとりでなにかに耐えているようでした。そうして私は息子の
今までの驚くべき生活環境とか習慣を知ることになりました。
 
 限られた世界から連れ出された、か弱いこどもの船出です ぐっさんハイ