先輩は厳しいひとが多かったですが、ふたりでひとつの仕事をやる職場です
から、自然と子弟というか戦争の末期には60歳ぐらいの機関士もいて親子
みたいな関係で仕事ができました。その代わり相手の気持ちとか感情を察
しながらやらないといい仕事ができませんから、そいうい意味でもいい勉強
の場になったと思います。まあ、野球でいえばピッチャーとキャッチャーみた
いなチームワークが生まれてきました。そういう密室で気持ちが通い合って、
段々仕事を続けてきますと、機関士である先輩が”ウチへこい”といってく
れてご馳走になって家中の家族に歓待されたりして一層人間関係が強くなっ
てきました。ひとを思う気持ちも高くなったと思います。ヘンな話ですが先輩
の娘さんや妹さんと結婚するひとが多くなりました。私は違いますが(笑い)。
Q:機関車の仕事でつらいことってどんなことがありました?A:それはトンネ
ルです。ススや煙が構内に充満して息ができなくなります。トンネルの多い
北陸路は我々機関士にとってはつらい路線でした。なにしろ窒息死とかガス
中毒で倒れる職員が多かった難所でした。私たちはそんな難所に差し掛か
ったら石炭の中に顔を突っ込んで、新鮮な空気を吸いました。Q:エッ、あの
釜にくべる石炭の貯蔵庫にですか?A:ええ、そうですよ、あれでも新鮮な、
空気に思えたんです(司会者絶句)。(いたずらっぽく)私ねえ、鉄道ファンと
いうひとにそんな体験を一度でいいからしてほしいんです。それでも鉄道が
好きだというひとがいたら、うれしいですよね。そんな苦労の末、電気機関
車に移りました。でも電気機関車は外からエネルギーがはいってきて客車
を動かすだけで、仕事にたいする感激というか25年も勤務してなにも記憶
に残っていません。その点、蒸気機関車は自分たちでエネルギーをつくって
それを工夫しながら少ないエネルギーを使って走るという自分たちの腕を
発揮しながら客車を引っ張るという充実感がありましたね。後ろを振り返っ
てみたら客車がズラッとみえて、俺たちがお客さんを運んでいるんだという
誇りというか充実感がありました。ですから今でも夢をみるのは蒸気機関
車の夢で電気のほうはまったく夢に出てきません(笑い)。もっとも蒸気も
なくて、空焚きとか石炭をくべ損なって停車させてしまった夢など失敗した
夢ばかりみて、大声を出して飛び起きて家中を起こしてしまうことが今でも
あります(笑い)。Q:それだけ苦労をされたことが身体にしみこんでいるん
ですね。A:そうだと思います。蒸気機関車は生き物なんです。最初は只の
物体なんですが我々が石炭をくべ水を補給することで生き物になるんです
その生き物をうまく動かしていく、、私の人生の縮図です。あとで振り返って
みますと楽しかったことよりも苦労したときのことが、いつまでも忘れならな
いし、宝物みたいに思い出されます。まさに機関車は私の人生すべてです。
いやあ、お話を伺って、その大変さがすこしわかったような気がしましたが、
命がけでやりとげた満足感を味わう職場ってすくなくなりましたね。川端さん
ありがとうございました。どうか奥さまも大切に。
3Kの代表といわれそうな機関車に情熱を傾けられた
川端さんと支えられた奥さんに乾杯! ぐっさんハイ