プールなど運動のやり過ぎなのか、眠くなって8時過ぎに床にはいります。
そのくせ4時ちょっとまえに目が覚めてしまい、また「深夜便」を聴いていま
したら82歳の川端さんという方の話が聞こえてきました。司会者が”川端
さんは戦争中に国鉄の機関士としてご活躍の方で今日は川端さんの貴重
なお話を伺うことにいたします”といいましたら、低音ですこしハスキーなお
声の川端さんに代わりました。では川端さんのお話をお届けさせていただ
きます。Q:いつごろから機関士になりたいと思われたのですか?。A:5歳
ぐらいからだったと思います。父に連れられて力強く客車を引っ張る機関車
に乗りたいと思うようになりました。Q:それがどういうことで機関士との出会
いになったのですか?。A:中学で”機関士になりたいといったら先生がバカ
にしたように”軍人にならずに機関士か”といわれました。昭和18年ごろでし
たから中国との戦争になっていましたから、当時はみな軍人になるという時
代でした。だから機関士になるといったら笑われました。でも、どうしても機関
士になりたかったので国鉄に応募しました。昔の国鉄なら10人受けてひとり
かふたりしか受かりませんでした。それだけ平時のときはあこがれの職場
だったのです、でも私の場合は戦地にいくひとが多くて応募者がすくなく10
人中8人も受かって幸運でした(笑い)。筆記試験もなく昔風にいうと口頭試
問だけで、私が”どうしても機関士になりたい”といいましたら、にっこり微笑
んでくれましたので、こども心に絶対受かると思いました(笑い)。受かったら
すぐ機関区の配属になり、やった!と思いました。でも、最初の仕事は倉内
士といって機関車や客車の清掃なんです。外装を清掃するのは苦になりま
せんでしたが、機関車の内側をきれいにするのは大変でした。だって構内は
ススだらけで手を動かすたびにススが舞って、息もできないくらい真っ黒にな
って仕事をしました。唾を吐くと真っ黒になって耳や目にもススがはいって今
だったら健康問題になるような大変な作業でした。戦争中でしたから物資も
すくなく、石鹸も手に入らなくなって風呂にはいっても落ちなくて苦労しました。
Q:どれくらい助手の仕事はされたんですか?。A:平時では10年もやらされ
ますが、私の場合は先輩が戦地にいくので8ヶ月でしたが、辛い仕事でした。
でも、そのおかげで機関車にたいする愛情というか愛着を感じるようになり
ました。今でも女房より大切に思います(笑い)。寄宿舎での団体生活でし
たが、軍隊とおなじように先輩に殴られる生活でした。それから機関助手に
なりましたが、みなさんも知っているように石炭を釜にくべたり、水を補給す
るのが主な仕事でした。つまり助手は機関車が走るためのエネルギーを、
つくるのが仕事で、機関士はそのエネルギーを、如何に効率よく使って、走
るかが腕のみせどころになりました。でも、漠然と蒸気を使って走らせる、
ひととすごく考えながら運転するひとは石炭をくべながらすぐわかりました。
淡々とした口調の中に職人気質を見出しました ぐっさんハイ