この方も「深夜便」をうたた寝しながら聞いていたひとなんですが、ミイラとり
がミイラになったというお話です。私はミイラにはなりませんでしたが、マレー
シアに魅入られ未だにマレーシアに帰るのが楽しみです。ヘンな話、苦労し
たことより楽しかった思い出ばかりが蘇ってきます。それに身体は老化して
いきますが、若かりし頃、情熱を燃やした辺りを散策してきますと気持ちとと
もに心身が若返ってきます。これからご登場いただくこの方も中南米のウル
グアイに魅入られた方なんです。商売もおなじ電気屋でソニーとエッチ社の
違いはあってもジャングルを越えて行商に励んだというくだりに親近感を覚
えて叩き起こされてしまいました。お名前は石橋 純さん。現在の肩書きは
東京大学大学院助教授という偉い先生で、無名の老兵とは断チの方なん
です。その方が特に魅入られたのは音楽だったそうで(ちょっと、あんたは
なにが好きだったのさ)、ええっと、私は人情の深さに参りました(人情の、
深さ?白々しいわね)。無視して話を続けます。氏はこう語ってあります。「
中南米の人々は、その暮らしのなかで歌と踊りを欠かせません。にぎやか
な歌と踊り・音楽とともに人々は集い、宴を張り、盛大な祝祭を催します。
ところが、実際に中南米に足を運び、そうした場に身を置いてみると私たち
の先入観は、裏切られないまでも一変することになります。一見にぎやかな
ダンス音楽の歌詞に、鋭い社会批評がこめられることもあります。耳には、
陽気なリズムと調にのせて、深い悲しみが唄われていることもあります。また
中世以来の口承詩の伝統がさりげなく生かされていることもあります。音楽を
通じて、生活の喜びと悲しみを表現し、社会の不正を告発し、身近なヒーロー
ヒロインを称えるこうした感情と思考を即興的に表現する人びとのたぐいまれ
なメディアであり交歓の場をつくる素材・・・それが音楽なのです」と学のない
私には高尚な論理をパクらせていただきましたが、楽しいにつけ、悲しいに
つけ唄や踊りは我々の心や気持ちを反映したり、今流でいえばストレスの
解消にもなったんでしょうかね。私は復帰まえの沖縄と東南アジアしか歩い
たことがありませんが、やっぱ唄や踊りは盛んです。ところで唄や踊りだけ
でなく、実際に唄ったり踊ったりしているお嬢さんに魅せられてミイラになった
という方も多いと思いますよ。実はここだけの話。私が出稼ぎ中に悪友と夜
の市場の情報交換会をやっていたときのことなんですが、ローカルの女性が
私のデスクのそばで掃除を始めたんです。あそこは勘定が高かった、美形
がいたと盛り上がっていたときに、掃除をしながら我々と一緒に笑ったんで
す。ありゃ、と思って”日本語がわかるの?”と聞きましたら、頷くじゃありま
せんか。そうして”ワカルヨ ワタシ ミセ イイヨ”と片言の日本語で応えまし
た。なんと昼間は掃除婦で夜バイトもやっているというんです。悪友と実際に
調査することになりました。髪を撫でつけて、おめかしをして店をのぞきまし
たら”ラッサイマセ!”と見知らぬ女性が声をかけてきました。グッサン ワタ
シヨ”といいます。よくみたら掃除をしていたおばさんじゃありませんか。煌び
やかな服装に、ド厚い化粧でよくわからなかったのですが、声を聞いて納得
しました。あの掃除をしていたおばさんが、どぎつい蝶々に変身していました
店にはいりましたら日本人のイイひとがいたこと、こどももいることなどなど
事務所と違って多弁になり、日本のおばさんと全くかわらなくなりました。
あたしゃ、フィリピンの日本人孤児というのが頭を掠めましたら”シュジン 10
マンエン オクッテクルヨ”と我々の気持ちを察したように彼女が話してくれま
した。正直ホッとしました。毎日、掃除にきては、こどもの話や旦那の話を聞
かせてくれましたが、そのうち姿をみせなくなりました。(ちょっと、中南米の
偉い先生とはえらい違いね!)。イエ、アノ、話しを面白くしたまでのことです。
それにしても女性の生活力、それに化粧やファッションでの変身術などなど
懐かしい思い出のヒトコマではありました。じゃんじゃん!(じゃん、じゃんじゃ
ないわよ!もっとこの話、説明責任があってよ!)。ああ、おおらかな時代で
した。
          勘定を払うときまでは いた女(釣ったと思った魚に
              逃げられたひとのことをいう)    ぐっさんハイ