「徹子の部屋」のたまねぎおばさんが”今日ゲストでお迎えするのは89歳
の現役最高齢のパイロット、高橋淳さんです。戦争時代を経た、豊富なご
経験をお持ちの高橋さんにできるだけ多くのお訊ねをしたいと思っています
”といって、傍らの背の高い品のいい御仁がカメラに映っていました。とても
89歳とは思えない紳士が、背筋のピンと張った姿勢で立ってありました。
日本飛行連盟の名誉会長(東京都町田市在住)として89歳の現在も小型
機やグライダーの教官として飛び続けているそうです。ギョッとしたのは手つ
くりの飛行機のテストパイロットも引き受けてあるそうで、素人のおっさんが
組み立てた飛行機に乗って大空で、その飛行機の良し悪しをチェックする
んだそうです。黙って聞き逃したら、なんでもないように聞こえてしまいます
が、よく考えたら飛行機の性能は地上では、ほとんどわからないそうでフラ
イトしてはじめて問題点がわかると淡々とした口調で語ってありました。
でもわかったときには空の上ですから、お陀仏になるんじゃないかと、徹子
おばさんが突っ込んでいましたら、”ええ、まあ、そういうことです”とにこや
かに応えてありました。あたしゃ本物のサムライだと思いました。太平洋戦
争では命を賭けて戦い、戦後は平和をかみしめながら日本中を駆け回り、
飛行時間約2万5000時間。空への思いは尽きないようです。あこがれの
飛行機乗りを目指し、18歳で海軍飛行予科練習生(予科練)に入隊。
「プロの軍人は嫌だった」というが戦争の大波にのみ込まれる。乗り込んだ
のが大型双発機の一式陸上攻撃機(一式陸攻)。”訓練で船に乗り、頭を
ぶつけ通しだった。航空母艦には乗れないと思い、陸上用の大型機を選ん
だんです”と笑い180センチの長身を揺ってありました。魚雷攻撃のために
海面すれすれで米軍艦に向かうが、弾が雨のように飛んできた。最後の
沖縄戦で部隊で残ったのは高橋さんの1機だけだった。生死を分けたもの
は何だったのか。それは”何があってもあきらめない精神力。無駄死には
しない、どんなことがあっても生きて帰ってくると念じていました”。戦後、パ
イロット養成のために設立された日本飛行連盟に加わった。訓練飛行の
ほかにも、物資輸送、航空撮影、ビラまきなど何でもこなした。”平和な空
を飛べるのがとにかくうれしかった”と振り返る。奥さまは、写真でチラッと
だけの出演でしたが、中々モダンなレディのようで徹子さんが”お出かけに
なるときは気をつけてとかおっしゃるんでしょ”といいましたら”いえ家内は
私が出かけるときになんにもいわないんです。知らん顔しています”と応え
てありました。でも、お顔には笑みがこぼれていました。”高橋さんはおモテ
になるんでしょう”と水を向けていましたら、またにっこりされて、”もう爺です
から、でも友人がいうには自分の年の半分に7をプラスした年齢とおしゃべ
りするのがいいそうですよ”と体験豊富な口ぶりで語ってありました。最後に
”こんなにお元気なコツを教えてください”と徹子さんが我がことのように質
問しましたら”そうですねえ、なんでも腹八分というのが私のモットーで早寝
早起き、それに常に緊張感というかストレスにならない程度の刺激を受け
ながら、どんな瞬間でも”今エンジンが止まったらどうするか”などを想定し
ながら日常生活を送っているスーパー高齢者なんだそうです。戦争という
心身ともに苦難を強いられた時代を超越し、どんな困難にも打ち勝って、
男の色気を漂わせるダンディな高橋さんにひれ伏したいようなひと時であり
ました。
球団の2番目の大将が涙ながらにM新聞のブン屋の親分が”オレはヘッ
ドコーチの人事は知らなかった、だから江川に交渉しようと思ったんだ!”
といって往生していると、記者団に訴えていました。それをみた1番目の
大将が、”こんな内輪の話をするのが問題!”と激怒。あたしゃ、内輪もめ
をネタに販売部数のアップを狙ったお芝居と睨んでいます。さて、結末や
如何に。 他人のケンカを大きくする会 会員 ぐっさんハイ