博多座は’96年にオープンしています。あたしゃ、早晩、観客が集まらず、
撤退するんじゃないかと気をもんでいましたが、中々どうして九州を中心に
山口や広島からも、みえて文化人の街の健在ぶりをアピールしています。
しかし集客には四苦八苦しているようですよ。確か13日の新聞でしたかね
650万人突破の記念のお客さんが大牟田からおみえの親子だったそうで
「年間ペア招待券」をゲットしていました。博多座のまえの川端商店街あたり
を散歩していますと、テレビなんかでみたようなひとと交差することがありま
す。通用口には、追っかけさんがサイン帳や花束を手にしながら、何時間
かかろうとじっと、憧れのひとを待ち続けている光景にもお目にかかること
があります。その昔、この界隈で生息していたものですから、懐かしさもあ
って飯屋に行くことがありますが、飯屋のおやじは”博多座にくるようなひと
は招待客かツアー客のため、弁当持参でくるから、銭にならない”とぼやい
ていましたが、ほとんどがアゴ足付きでセットされているそうですな。そんな
ある日、ひさしぶりに天神界隈を散策していましたら、ビルの一角にある保険
屋が博多座で興行されるミュージカル「三銃士」のトークショーを自社の広間
でやるので来ませんかと誘われたのでカミサンのあとに続きました。私のよう
な化石寸前の爺は目で追うぐらいの人数で、圧倒的に女性で満杯でした。中
には、保険の勧誘員みたいなおばさんが見込み客と一緒に席をとりまくって
いました。あたしゃ、息苦しくなってトイレに立ちました、中々はじまりません。
定刻をしばらくたってから、やっと司会者らしい女性が、”明後日からはじま
る「三銃士」の公演のまえに若手のミュージカルスターをお呼びして、みなさ
んと親しくお話をする場をつくることができました”と紹介したと思いましたら
3人の知らない男女が急造の舞台に現れて、大きな声を張り上げながらミュ
ージカルナンバーを唄いはじめました。あたしゃ主演の山口でも来て舞台の
裏表を面白く話してくれるのでは、と期待していましたが、まったく知らない
若手でした。もちろん楽団なんて気の利いたものではなくピアノだけの演奏
でした。さすが舞台出身のミュージシャンだけあって、眠気が吹き飛んでし
まうような、ものすごい声量で、ぺちゃくちゃおしゃべりをしていた場内を圧
倒していました。劇団「四季」に所属していたという大分出身の青年は”困っ
ちゃう”などと東京弁を遣い、シラケさせていました。盛んに”こんど博多座
ではじまる「三銃士」は、大人からこどもまで楽しめるミュージカルです今日
をご縁に博多座でお待ちしています!”と選挙運動みたいになんども連呼
しながら、博多の食い物や人情が厚いと褒め言葉を連発しながら”もし、こ
こで、おいしいという店に連れてってくれるひとがいたら大歓迎です”とムシ
のいいことをいいながら、勝手に盛り上がっていました。そういえば大相撲
や落語の世界でも、そうでしょうが無名のころ、このように持ちつ持たれつ
の関係で小遣いに不自由して食うものにも難渋するようなデビューまえの
青年たちに小遣いを与えたり、ファンつくりのきっかけにでもなればという催
しと知らずに飛び込んだ予定外の出来事ではありました。帰りには出演者
直筆のサイン入りのポスターを大事に抱えたひとと、すれちがいましたが、
いつまでも大切にしてくださいね。なお博多座はここ数年年間入場者は50
万人だそうですが客足は予想以上に落ち込んでいる、と新聞には書いてあ
りました。どちらさまも大変だあ。
あきらめましたよ どうあきらめた あきらめきれぬと
あきらめた ぐっさんハイ