彼女の名前をきいてシンクロの選手だったとおわかりの方は、かなりの通
だと思います。例によって「深夜便」をうたた寝しながら聴いておりましたら
小学生のころ交通事故で重傷を負い、さらにその後遺症に悩みながらシン
クロの日本代表に選ばれたという話を聞きましたので途中で飛び起きてHP
をパクりましたら次のような苦闘の経緯を探し出しましたので、みなさんにも
出前させていただくことにいたしました。早速、彼女の話に移りましょう。
”事故に遭ったのは名古屋市内の小学2年だった91年10月3日。止まって
いた母和美さん(52)の車に、暴走車が突っ込んできた。”由美子は血が流
れて気を失った。救急車も受け入れ先をすぐ見つけられず、どうなることかと
思った”と和美さん。石黒は手足を骨折し、顔面を540針縫った。 リハビリを
兼ねて、翌92年にシンクロを始めた。女優宮沢りえさん主演のシンクロのド
ラマを繰り返しみた。アキレス腱(けん)を切ってバレリーナの夢を断念し、
シンクロに懸命に励む主人公の姿に自分を重ねた。 顔面まひ、網膜剥離
(はくり)、難聴…。みんなのように体が動かないので離れたところでぽつん
と練習していた。 母にも忘れられない思いがある。娘の小学校に授業参観
に訪れたときだ。”おーい、フランケン」!”娘をこう呼んだ同級生に詰め寄ろ
うと思った瞬間”なーに79.jpg”と娘は明るく答えた。”本当に強くて明るくて素直な

子、事故の恨み言も一切言わない。元気なのが救いだった”と母は振り返る。石黒の壮行会など人前に出る時は、今も笑みを絶やさない。 競技のシンクロはみるみる成績を伸ばした。小学校高学年の部で全
国5位。07年夏、スイスオープンのソロで優勝した。年末になって初
めて日本代表に加わった。”誰も私が入るとは思わなかったでしょう”。ここでも会心の笑みをみせた。 後遺症はほとんどなくなったが、今も
左目は完全には閉じない。石黒は言う”こんな私でも五輪に出ること
が出来る。これからも障害者や苦しんでいる人に勇気を与えることを
していきたい” 雄姿はこの日誕生日を迎えた母ら家族が見守る日本へ、そして世界へ発信された。逆境を受け入れ、逆にバネとして人生
のプラスに!TVのインタビューで母親が”事故に合わせていただた”
という表現をしておられた。”事故に合わせてもらったからこそ、オリン
ピック参加がある」と…。普通なら、事故を起こした運転手を恨むだろう
それを事故に、合わせていただいた…口で言うのはたやすいが、なかなか出来ることではないだろう。諦めなければ道は必ず開かれる。

ひた向きな努力で障害を克服したシンクロナイズドスイミング北京オリンピック日本代表のチームリーダーとしてチームを率いた経験を持つ。現在は神戸大学大学院で
博士号取得をめざす、あえて石黒さんの美形もご紹介させていただきましたが天使のような親子、
強靭な親子に乾杯!
             この世がいやになった、誰でもよかったなどと甘っ
             たれ根性で弱者を襲う輩に捧げる ぐっさんハイ!