NHKの朝ドラ「おひさま」は目が離せませんね。ひ孫の「日向子(ひなこ)」が
生まれたことにより富士子おばあさま(渡辺美佐子)は東京に帰ることになり
ます。陽子(井上真央)をはじめ丸山家のみんなは引きとめますが、頑固が
ウリのおばあさまは耳を貸そうとしません。いえ、貸しながらみんなの行為
に感謝しながら心から嬉しそうに”ありがとう”といいます。そうして”甘えたい
、、でも甘えたら、そのまま弱くなってしまうと思うの。それにね、孫やひ孫に、
いつまでも頼られるおばあさまでありたいの”といって微笑みます。美佐子
おばさまの真骨頂を垣間見た役どころでした。ありゃドラマだ、といってしま
えば実もフタもありませんが昭和という時代は言葉にも重みがあったような
気がするシーンでしたねえ。さて昭和といえば、みんなが一生懸命汗を流し
て経済大国になりかかって、もう戦後ではないという言葉が出掛かったころ、
突如として時計の針を戻すような事件が起こりました。それは”恥ずかしな
がら”という言葉を吐いて戦場から帰還した横井さんんの登場でした。今日
は、そのご本人に登場していただきます。横井 庄一(1915年3月31日 -
1997年9月22日)は、元日本兵で太平洋戦争終結から28年目、アメリカ
合衆国領グアム島で地元の猟師に発見されました。”恥ずかしながら、日本
に帰ってまいりました”とオドオドしながら飛行機のタラップを降りていたのが
昨日のように思い出されます。もう39年もまえの出来事でした。召集され
満州を経由してグアム島に派遣され、そこで2万人近くいた日本兵の大半
が戦死する米軍との激戦がはじまり、ジャングルに敗走。27年間にわたり
潜伏生活を送った。その間、デンデンムシ、ガマガエル、ネズミなどを食べ
仕立て屋で鍛えた腕を発揮して衣服を自分でつくって、ひたすら耐乏生活
に耐えた。「もはや戦後でない」。こう謳われていた高度経済成長に酔いし
れていた日本人にとって異国のジャングルから「戦争」を背負って現れた、
横井さんの存在は衝撃的でした。”生きて虜囚の辱めを受けるなかれ”とい
う軍事教育をいやというほど叩き込まれた横井は「生きて本土へは戻らぬ
決意」で出かけた記憶がしっかりとあったため、あのオドオドした”恥ずかし
ながら帰ってまいりました”という言葉になったといいます。この年の流行語
になりました。NHKで放送された特別番組「横井さん帰る」は視聴率が41.
2%にもなったそうですよ。息を潜めていた生活から一変、時のひととなった。
取材や講演依頼が殺到。テレビにも出演。本も書いた。’73年にオイルショ
ックが起こると「耐乏生活評論家」という肩書きも付いた。ところが日本らし
い島国根性の妬み、やつかみに見舞われて”商魂たくましい”とか”戦争に
負けたモンがなんで大きな顔をしとるんや”、”逃げ回った卑怯者”。戦争で
家族を失った遺族からは”なぜひとりで帰ってきた、息子を返せ!”などと
嫌がらせの電話や手紙も多く届いた。こんな仕打ちに横井さんは”世間の
声にノイローゼにならないように戦わなければならなかった、国がお金をく
れるわけでもなく裸ひとつで生きていかなくてはならなかった”。帰国後、ス
トレスのせいか、晩年は白内障、ヘルニア、骨粗しょう症と病気と縁がきれ
なかったという。70歳で胃がんの手術をしてからは体力もなくなった。パー
キンソン病にもかかり体も不自由になった。’97年他界。享年82歳。帰国
後の生活は潜伏期間よりも短い25年だったそうな。合掌。
    
    日本という しがらみのジャングルで暮らすのは大変です 
                     小野田元少尉 代読 ぐっさんハイ